右肘手術の武田翔太…胸中を激白 TAKUYA∞からの独占メッセージに「このままだと終わる」

ソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】
ソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】

右肘のトミー・ジョン手術を発表…鷹フル記者に打ち明けていた危機感と1つの夢

 ソフトバンクは9日、武田翔太投手が横浜市内の病院で「右肘内側側副靭帯再建術および鏡視下肘関節形成術」を受けたことを発表した。今季復帰は絶望となり、復帰は2025年のシーズン中となる。担当記者として取材してきた竹村岳記者が、コラムとして武田の胸中に迫った。これまでにないほどの危機感を明かすと同時に、ハッキリと“心の火は消えていない”と激白した。また、武田と親交の深い6人組ロックバンド「UVERworld」のボーカル、TAKUYA∞からも独占エールをもらった。

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「明後日、行ってくるわ」。4月上旬にファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」に行った時、そう言われた。武田翔太が大きな手術を受ける。実はその一報を聞いたのは、武田本人からではなかった。それでも武田は、手術を受ける旨を筆者が知っているような前提で「明後日、行ってくる」と伝えてきた。「横浜ですよね?」。軽症であってほしいという淡い思いは叶わず、複雑な感情はより色濃くなった。

 武田との出会いは、まだ他球団の担当記者を務めていた2018年の5月だった。武田にとっても親交の深い、滋賀県出身の男性6人組ロックバンド「UVERworld」。その関係はよく知っていた。筆者もファンの1人でありながら、ボーカルのTAKUYA∞との交流があったからだ。甲子園球場で名刺を渡して挨拶をすると、武田からTAKUYA∞にすぐに連絡が行った。筆者にも「よろしく」とメッセージが届き、2020年からはホークスの担当記者として取材することになった。マウンドに立つ姿を見られるだけで、本当に幸せだった。

 2019年のオフにも右肘の手術は経験したものの、武田本人も「あれは内視鏡だったからね」と、今回は全くの別物だと捉えている。靭帯を移植するという初めての経験。武田の口からも「これくらいはかかる」と、おおよその目安も聞いた。先が見えない道のりが始まる。「大丈夫ですか?」。率直な心境を問う。答える武田の目から、熱い“心の火”を受け取った。

「やるよ。やめるのは簡単だから」

 やめる、のニュアンスは頑張ることをやめること、本気で復帰を目指すことをやめるという意味だった。「野球に対して、まだ情熱はありますか?」。こんな機会でしかなかなか聞けないから、ハッキリとそう聞いた。武田はうなずいて「楽しいうちはやっていたい。それ(野球が楽しいというのは)はプロに入る前から変わっていないよ」と返してくれた。「あの人たちも、そうでしょ」。“あの人”たちとは、筆者と武田に共通する憧れの存在、UVERworldのことだ。

 プロ野球選手でいられる時間は短く、尊い。2022年から結んだ4年契約は、2025年で終わる。武田の野球人生はもうとっくに“後半戦”だと言えるだろう。それを認識して、全力で復帰を目指すという言葉を聞けたことは安心した。ただそれは、本音だとも、強がりだとも思った。武田の口からは、弱音も愚痴も聞いたことはない。先が見えない大型の手術が決まった時ですら、武田は強くあろうとした。こんな時くらい弱音を吐いてもいい。そう思ったが、それでも何も言わなかったことは率直に「やっぱりこの人は強い人だな」と感じさせられた。

武田翔太(左)とTAKUYA∞【写真:本人提供】
武田翔太(左)とTAKUYA∞【写真:本人提供】

 筆者の日課は毎日10キロのランニング。武田の口から手術の旨を聞いた日の夜、11キロのランを終えた時、スマートフォンを鳴らした。自分から滅多に鳴らすことのない、TAKUYA∞の電話だった。武田からも「ちょうど今日連絡きたわ」と言い「厳しい世界やな……」と言葉を選ぶ。武田翔太が手術を受ける。辛く長い、暗い道のりが始まり、プロ野球選手でいられる時間が確実に終わりに近づいている。エールの言葉をお願いすると直接、武田にこう送ったという。

「絶対上手くいく! 最近会えてないからな、ゆっくり休める時にまた会お。本当に応援してる」

 武田とUVERworldの出会いはプロ2年目、20歳の時に知人に紹介してもらったことだった。2016年を最後に2桁勝利から遠ざかるものの、2021年の年末に顔を合わせた時は「翔太、俺は信じているからな」と、瞳を見て真っ直ぐに言われた。武田翔太はまだ終わっていないと、TAKUYA∞も信じている1人だ。手術という厳しい現実を踏まえて「エール送り続ける。本当に復活してほしい」とTAKUYA∞もまた、武田の強さを信じていた。

 昨年5月3日のオリックス戦(PayPayドーム)で2回11安打6失点を喫した。当時、1軍投手コーチだった斉藤和巳4軍監督には「だからこの数年こんな感じなんやろ」とまで言われた。その時も「今のままじゃ本当終わるけん、どうにか抗ってみる」と悔しさを受け入れて、目線を上げていた。同年は中継ぎで29試合に登板。ロングリリーフとして新しい可能性を示した。今回の手術についても「このままだと終わる」と、自身のキャリアに対して明確な危機感を口にした。全治未定という暗闇を歩むことになった武田の強さを、今一度信じたい。そして、自分ができることで支えていきたい。

 1人の記者が、プロ野球選手のパフォーマンスのためにできることはない。あってはいけない。トレーナーのように体のケアもできなければ、栄養士のように食事の管理もできない。できるのは、ただ、選手の努力を見逃すことなく、ファンの方々に伝えることだ。武田には、1つの大きな夢がある。まだそれを書くことはできないが、筆者も武田翔太の「やるよ」という言葉を、信じて応援することをここに約束する。武田の夢が叶うことと、いつか起きる奇跡を信じて。

TAKUYA∞、竹村岳記者、武田翔太(左から)【写真:竹村岳】
TAKUYA∞、竹村岳記者、武田翔太(左から)【写真:竹村岳】

(竹村岳 / Gaku Takemura)