NPB、MLBでも急増するトミー・ジョン手術。リハビリ過程はどのようなものなのか――。東農大から2022年育成ドラフト8位指名。入団直後に手術を受け、今季から復帰した宮崎颯投手に話を聞くと、意外な答えが返ってきた。「元々、痛みが全くなかったんです」。
新人合同自主トレ中に手術を決断したが、大学時代から異変はあった。「大学3年時に一番良い状態で投げていたんですけど、4年生に上がる一冬の間になんか調子悪いなと思っていて」。球速が一気に約7~8キロほど落ちた。違和感を覚えながらも、投げ続けたのは痛みがなかったからだった。
「投げられていたんですが、球速が出ない状況で。蓋を開けたら肘の靭帯やってるねみたいな」。疲労骨折もしていたが、気付かなかった。痛みがなかったため、医師からは「オペをこっちからしなさいとは言えない」と伝えられた。太田利亨リハビリトレーナー、松本輝担当スカウトにも相談し、手術を決断した。
手術後も痛みはほとんどなかった。「もともと体が痛みに強いのもあるのかもしれないですけど……」。神経痛といったものもゼロ。「執刀医の先生にもほんと珍しく成功してる。ほんと完璧な状態で成功しているタイプと言われました。トレーナーさんのおかげです」と感謝する。
痛みは全くなかったが、リハビリが辛くなかったわけではない。「1年目の初っ端から手術して、周りが2軍とか1軍で活躍してます、育成から同期で上がってる選手もいますっていうのを指をくわえて見るしかできないっていう状況にあった自分が一番苦しかったです」。また、肘が治ったことで新たな“ズレ”が生じた。
「僕の場合、中学生でも一度怪我をしていて」。元々、いわゆる野球肘を患っており、肘の可動域が制限されていた。そんな中で大学までを過ごし、自らのフォームは“制限下”の中で形成されていった。「自分が思ったように体が使えなくなってしまった」。手術で可動域が正常に戻ったことで感覚が狂い、左腕を苦しめた。
さらに、痛みがないことが苦痛になることも。「痛くなかったからこそ、投げられちゃってたんすよ」。感覚は健康にも関わらず、リハビリをしなければいけないもどかしさ。同じ毎日の繰り返しで、ストレスが日に日に溜まっていった。「死んだような顔をしていたらしいです」とリハビリが始まった頃を苦笑いで振り返る。
そんな左腕を支えたのは、森山良二リハビリ担当コーチ(投手)と太田利亨リハビリトレーナーだった。2人が伝えたのは笑うことの大切さ。「ずっと毎日が同じことの繰り返しで『今日もこれだ、今日もこれだ』って状態だったので。森山さんからはどんな時でも笑顔でいろって言われました。笑いの注力って言葉はよく言われていましたね。太田さんも『楽観的に楽しくやれ。自分を追い込みすぎるな』と言っていただきました。この言葉は今でも大事にしています」。
今では感覚のズレも治り、3月中旬には1軍にも参加した。「今はフルマックスで体を使って投げているので、ここからは本気で支配下を目指して」と意気込む。そして「他に手術をされた人の方が色々話はあるかもですが……。僕だから言えることもあるのかな」。決して全員が同じリハビリの道のりを歩むわけではない。自らの経験を伝えていくことも、次の“患者”の道標になる。