若手を“煽り”…牧原大成に「せっかくやし行け」 最高の機会を演出、中谷コーチの意図

2軍戦に出場したソフトバンク・牧原大成【写真:飯田航平】
2軍戦に出場したソフトバンク・牧原大成【写真:飯田航平】

くふうハヤテ戦で実戦復帰…中谷コーチが振り返る牧原大のリハビリ期間とは

 チームにとっては痛くとも、若手にとってはまたとないチャンスだった。ソフトバンクの牧原大成内野手が22日、ウエスタン・リーグのくふうハヤテ戦(タマスタ筑後)で実戦復帰した。「1番・指名打者」で出場すると、初回の先頭打者として打席が回ってきた。結果は二塁ゴロだったが、「痛みもなく振れたことがよかった」と晴れやかな表情で振り返った。待望の瞬間が訪れた中で、リハビリ期間を振り返ったのが中谷将大リハビリ担当コーチ(野手)だった。

 4月28日の試合前練習中に、右脇腹を痛めた。30日に佐賀市内の病院でMRI検査を行い「右内腹斜筋損傷」と診断されたと球団は発表した。2か月近いリハビリ生活をともに過ごしてきたのが、今季から指導者としてユニホームを着ている中谷コーチだ。自分で考えてやる選手なので。そこは尊重しつつ、できることは限られている。その中で手投げで打ったり、マシンを打ったり、いろいろと実戦までにやっていたんじゃないかなと思います」と振り返る。

 牧原大といえば、昨年の契約更改でも「『あなたたちは育成選手なんだよ。もうちょっと自覚持ってやらないと終わってしまうよ』と言う話はしました」と明かすなど、常に後輩たちに厳しい姿勢で接してきた。ホークスの未来を思うからこそ、そして自分に対してもより高いハードルを設けるためだ。自分自身のリハビリはもちろん、若手たちとはどんな距離感で接してきたのか。中谷コーチが明かす。

「結構、一緒にランニングもしていましたし、守備練習も若い中澤って子に積極的に言ってあげたり、牧原から気づいたことを言ってあげている時もありましたよ。仲良くって感じではなかったですけど、コミュニケーションは取れていたと思います。僕からも『どんな感じ?』みたいなことを言ったら『もっとこうしたら?』っていう。聞いたら話してくれるタイプです」

 中澤恒貴内野手は、育成4位で青森の八戸学院光星高から入団したルーキーだ。昨年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも選出されるなど、中澤にとって牧原大は大先輩のはずだが、言葉を交わすシーンを目にしてきた。「完全に(コミュニケーションが)ゼロというわけでは、僕は見受けられなかったです」。そこには、先輩と後輩の距離が近づくように、中谷コーチなりに“橋渡し”があった。

「僕から煽ったりして『行けよ』みたいな。『せっかくやし行けよ』っていうのは言いながらやっていましたね」

 中谷コーチから若手の背中を押して、牧原大との会話の機会を作り出すように心がけていた。主力の離脱はチームにとって痛手だが、こんなチャンスでないと育成の選手たちもなかなか接することはできない。「聞きに行くことで勉強にもなると思うし、見るだけでも勉強だと思う。本当に一緒にやっている中で、プラスのポイントは多かったんじゃないかなと思います」と、少しでも何かを吸収してほしかった。

 牧原大は昨年、左太もも痛から復帰した時には「制限の中でも、トレーナーさんが言うことを振り切ってやっていたこともある」と、常に前のめりな姿勢だったと明かしていた。今回の期間に中谷コーチは「自分で考えてやる選手なので、僕らで止めるところもありましたし、牧原自身がやりたいことを尊重してあげるっていうのはありました」と、コミュニケーションを意識してペースを守ってきた。

 この日、予定では1打席だったものの、「ちょっと気持ちよくなっちゃいました」と、2打席目を“おかわり”した牧原大。結果は一ゴロ。2打数無安打に終わったが、表情からも野球ができる喜びが溢れ出る。この2打席にも本人の意思が尊重されていた。

 怪我をしたのは脇腹だけに、再発だけは防がなければならない。「最初にバッティングで(怪我)やっているので、バッティングに一番重点を置きました。張りが次の日に強く出た時もありましたし、そこは調整しながらやってきた感じです」とリハビリ期間を振り返る。1軍の戦力として戻ってもらうためにも、慎重にステップを踏ませてきたつもりだ。「しっかりと話し合いながらできたんじゃないかなと思います」。中谷コーチ自身も、牧原大の復帰を心待ちにしてきた。

 千賀滉大投手や甲斐拓也捕手と並び、1992年世代の2人。同級生という特別な意識は「(そういう意識が)ないということはないんですけど、1人の選手として早く復帰してほしいなと思いながら一緒にやっていました」と胸中を明かす。二人三脚の日々が1軍で報われるまで、きっともうすぐだ。

(飯田航平 / Kohei Iida)