右肘を襲った激痛、山本恵大が明かした手術までの舞台裏
痛みを隠しながら戦い続けた、満身創痍の41日間だった――。 山本恵大外野手が7日、佐賀県内の病院で右肘内側側副靭帯インターナルブレース修復術を受けたことを発表した。競技復帰までは6〜8か月の見込みで、今季中の復帰は絶望的となり、2027年シーズンでの実戦復帰を目指す。「後悔はしていないです」。そう言い切った表情に迷いはなかった。決断にたどり着くまでには、誰にも見せなかった葛藤があった。
育成4年目の昨季に支配下契約を勝ち取ると、プロ5年目となる今季は開幕を2軍で迎えるも、5月12日に今季初の1軍昇格を果たした。5月30日の広島戦(みずほPayPayドーム)では右翼への飛球を追い、フェンスに激突。頭部を強打し、脳振盪と診断された。それでも復帰プログラムを乗り越え、約1か月半後の7月18日には再び1軍へ。21、22日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)では2試合連続本塁打を放つなど、今季18試合の出場で打率.268、3本塁打、7打点の好成績を残していた。
確かな存在感を示し、ようやく掴みかけた1軍定着。しかし7月29日に突然、1軍選手登録を抹消された。オールスター休み明けの翌30日、みずほPayPayドームで行われた全体練習後。1人球場を訪れた背番号「77」は静かに口を開いた。「手術を受けることにしました」。その言葉は、今季のプレーを終える決断でもあった。右肘に異変が走ったのは、6月16日のことだった。
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この先で分かる3つのこと
激痛に耐えた41日間、激痛が走った「瞬間」と葛藤
MRI検査で医師から突きつけられた「衝撃の宣告」
手術決断の背中を押した同期・正木智也の「姿」
「脳震盪から復帰して、しばらく休んで筋肉的にも少し緩んでいた中で、ノックスローで外野から思い切り投げた時に『ブチブチッ』って音がして。自分の中でも切れたのが分かって。『あ、終わった……』と思いました」
これまでに経験したことのない感覚だった。脳振盪からの復帰プログラムを順調に消化し、6月7日の3軍戦で実戦復帰を果たした。同16日のファーム・リーグ、オリックス戦(タマスタ筑後)の試合前練習。ノックを受けていた最中のアクシデントだった。その直後、19~21日に行われた広島戦(マツダスタジアム)も急きょ帯同を取りやめ、2軍練習でも別メニュー調整をこなした。痛みに耐え、出場を再開してからも、指名打者としてプレーを続けた。
「自分の中でも『プレーができるか、できないか』はすごく悩みました。『なんでだよ……。あそこで投げなきゃ良かった……』と何度も思いました。でも『このまま続けたい。リハビリには行きたくない』とトレーナーさん、(斉藤)和巳さん、城所(龍磨)さんに伝えて。他にもたくさんの周りの人に理解してもらって、やらせてもらっていました」
育成2年目には左膝の手術も経験した。何度も故障に苦しみながらも諦めることなく、昨年に支配下契約を勝ち取った。だからこそ、ようやく見え始めた1軍定着の可能性を、自ら手放したくなかった。8月6日には27歳を迎えた。「1軍でやれる」。確かな手応えもあっただけに、「離脱」という決断だけはどうしても選びたくなかった。
「痛かったです。とにかくずっと痛かったです。肘に水がずっと流れているみたいな感覚でした。寝る時も左を向いて寝ていました。コップを持つだけでも痛かったですし、ホームランを打った後のハイタッチも左手でやっていました。それでファンの方にも気付かれて。打つのもそうですけど、ちょっとした送球でも痛かった。でも気持ちが切れたら、もう何もできなくなる。絶対に気持ちだけは切らさずにやろうと思っていました」
MRI検査で医師から告げられた「前が切れたら終わりだよ」
無理を承知でプレーを続けた。7月はファームで20打数9安打、打率.450。文句のない結果で再び1軍の切符をつかみ取り、昇格後の22日のオリックス戦では2試合連続となる本塁打を放った。しかし、ダイヤモンドを一周した後は、痛みに耐えながら左手だけでハイタッチを交わしていた。もう限界だった。27日、西武との3連戦を終えてベルーナドームから福岡へ戻ると、病院へ向かった。
「PRP(注射)を打つことになったんです。それで病院でMRIを撮ったら、『いや……これはやばい。右肘の後ろの靭帯が切れているから。前が切れたら終わりだよ』と言われて。もし前の靭帯も切れたら、確実にトミー・ジョン(手術)になる。それで1年間のリハビリとなると、復帰が来年の後半戦になるので。年齢も含めて、野球人生が厳しくなってくると思うんです」
このままプレーを続ければ、損傷はさらに広がる可能性がある。その結果、待っているのは復帰までに1年以上を要するトミー・ジョン手術だ。目の前の1試合を選ぶのか、これから先の野球人生を選ぶのか――。突き付けられた決断。7月27日から29日のオールスター休みの3日間、頭の中は手術のことばかりだった。
「気が気じゃなかったです。奥さんと旅行に行っていたんですけど、そういう素振りを見せないようにして。それでもすごく心配されて……」。それでもトレーナーと話す時間を設けて、自らの意思で手術を受ける決断を下した。「今後の野球人生を考えたら、来年以降に賭けたい。この決断がやっぱり最善なのかなと思います」。
「本当に悔しいです。(今シーズン)最後までやりたかった。チームが優勝するために戦って、僕もその輪に入りたかった。担当スカウトの松本輝さんにも(手術の)話をしたんです。そしたら僕より悔しがってくれて。僕も悔しいですけど、同じくらい悔しがってくれる人がいっぱいいたので。その人たちのためにも、また1軍で活躍している姿を見せられるように。前を向いてやっていきたいなと思っています」
背中を押した同期の姿「僕もパワーアップした姿を」
昨オフ、自主トレを共にした師匠・周東佑京外野手には、手術を決めた後にLINEで報告した。「オールスターの最中だったんですけど、『しっかり治して戻ってこいよ』と言ってもらいました」。今年、復活を見せた同期の姿も背中を押してくれた。「去年、正木(智也)も長期離脱しましたけど、すごくパワーアップして帰ってきたので。僕も良いリハビリ期間にして、パワーアップした姿を見せられるように頑張りたいなと思います」。
ノック中に激痛が走った6月16日から、最後まで戦い抜いた7月26日まで。痛みに耐え続けた41日間だった。「全然後悔していないです。やっぱりあのままリハビリに行っていたら、この1軍はなかったので。1軍に来られて良かったなと思いますし、手応えまでとはいかないですけど、結果も出ました。だからこそ来年以降も1軍で活躍したいという気持ちが、より強くなった数日間だったので。もっと頑張りたいです」。手術をすることが決まった今でも、”あの時”の決断に全く後悔はない。
単独での取材を終えようとした、その時だった。「僕も泣きそうですよ」。少しだけ表情を崩すと、山本恵は真っすぐな表情で笑った。「でも後悔はしていないし、もう前を向いています」。本塁打を放ち、ダイヤモンドを一周した後に本拠地スタンドから聞こえた「いいぞ、いいぞ、恵大」の大声援。山本恵大は、もう一度1軍の舞台に必ず戻ってくる。
(森大樹 / Daiki Mori)