和田毅が明かす“最後に泣いた記憶”「悔しすぎました」 転機となった25年前の悪夢

鷹フルの単独インタビューに応じた和田毅さん【写真:冨田成美】
鷹フルの単独インタビューに応じた和田毅さん【写真:冨田成美】

日米165勝左腕が思い返す“原点”「このままじゃダメだなって」

 鷹フルがお送りする和田毅さんの単独インタビュー。全10回の第4回、テーマは「和田毅が泣いた日」です。左腕が振り返ったのは遠い遠い昔の記憶。ベンチ裏で1人、あふれ出す悔し涙を止められなかったあの日——。日米通算165勝を挙げるまでになった“原点”に迫ります。

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 昨年11月5日の引退会見。和田さんの表情は最後まで晴れやかだった。「何を聞かれても泣くことは、まずないなと思っていましたね」。そんな左腕の言葉を聞き、ふと思った。和田毅はいつ泣くのだろうか——。そう尋ねると、左腕は腕を組み、しばらく考えた後に答えを口にした。

「大学2年のときに、早慶戦で初めて先発をさせてもらって。2連勝したら優勝っていう状況で、2試合とも先発で。1戦目に投げてボコボコ打たれて、ノックアウトを食らって。2戦目も先発で投げて、またボコボコでノックアウトされて……。あの時はめっちゃ泣いた記憶がありますね」

 25年前の2000年、東京六大学春季リーグでの出来事だ。5月27日、慶大との第1戦で入学後初めて先発マウンドを任されたのが和田さんだった。

「初めて自分に期待してもらったっていうのもありましたし、その年は初めて先発で投げ始めて、奪三振もたくさん取って。ようやく自分がポンって出てきて、いろいろと(マスコミにも)言われている時だったので。めちゃくちゃ悔しかったですね。慶応に全く歯が立たなくて、このままじゃまだまだダメだなと思ったのは覚えてますね」

 高校時代は130キロにも満たなかった球速が、早大入学後すぐに140キロに到達。周囲の視線が一気に集まりだすなど、野球人生が右肩上がりを描いていた中での“挫折”だった。第1戦で負け投手となって早大の優勝が消えると、翌28日の第2戦でも無念の降板。ベンチ裏に戻った左腕は、人目もはばからずに涙を流した。

「1人でしたね。ベンチ裏には荷物出しの同級生とか後輩がいましたけど。あまり記憶がないんですよね。泣いたことは覚えてるんですけど、誰がいたとか、全然覚えていないんですよ。ただ先輩に申し訳なくて……。悔しすぎましたね」

 大学2年で味わった苦い思いが、さらに左腕の成長を後押ししたことは言うまでもない。一方で、プロ入りしてから涙を流したのは「記憶がない」という。「自分が投げて、チームが3連敗したときとか。先発で3試合連続ノックアウトされたときとかは、泣いた記憶はないですけど、寝られなかった記憶はありますね」。舞台が違っても、悔しさを糧に戦い続けたのは同じだった。

「プライベートなら、映画で泣くことはありますね。僕だって、感情がないわけではないですよ」。冗談っぽく笑った43歳。幾度となく試練を乗り越えたからこそ生まれる、本物のスマイル。だからこそ、多くのファンを魅了し続けてきたのだろう。

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 1月27日に「球団統括本部付アドバイザー」への就任が発表された左腕。「1本の幹があればぶれることはない」。和田毅が考える“今後”とは——。第5回は2月15日に掲載します。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)