昨年末、全6回にわたってお届けしたルーキーたちの連載。そこで書ききれなかった“こぼれ話”を番外編として紹介いたします。今回は履正社高、東洋大を経てドラフト6位で入団した岩崎峻典投手です。本格的な投手転向からわずか2年で“令和初の甲子園胴上げ投手”となった右腕。「あれがなかったら、プロにはなれていなかった」と振り返ったのは、中学2年秋の出来事でした。
小学校時代は「友達がいっぱいいたから」との理由で、地元のソフトボールチームに入っていた。中学に進学すると、今度は兄がいた硬式野球チーム「大淀ボーイズ」に加わった。「自分の意思はなかったです」。“野球初心者”は、ほぼ2年間ショートとしてプレーした。「中学から野球を始めたやつがピッチャーなんかできないと思ってました」。マウンドに上がる野望さえ持っていなかった右腕に転機が訪れたのは、2年の秋だった。
「当時のエースが急にチームを辞めることになって。コーチが『ピッチャーおれへんから、テストするぞ。肩の強いやつはマウンド上がれ』みたいに言われて。僕もマウンド上がって、なんか合格しましたね。そこからピッチャーをやっているので。それが分かれ道だったのかなと思いますね」
まさに偶然だった。「それがなかったら、絶対に(投手を)やっていなかったし、プロにもなれなかったと思います。ピッチャーに興味もなかったですし」。それから2年あまりが経った2019年夏の甲子園。星稜高との決勝で、7回途中からマウンドに上がり、最後を締めくくったのが履正社高2年の岩崎だった。「人生、何があるか分からないですね」。どこが他人事のような口ぶりも岩崎の人柄をよく表している。
物語はこれで終わりではなかった。「その子、プロに行ったんですよ」。岩崎が口にした名前は、2024年ドラフト3位で日本ハムに入団した浅利太門投手だった。大阪・興國高から明大に進学。身長186センチ、体重88キロの恵まれた体格から繰り出される最速154キロの直球が武器の右腕だ。「めっちゃデカかったし、高校のころからすごかったです」。岩崎は自らのことのように饒舌だった。
投手になるきっかけをもたらした友が、同じリーグのライバル球団に入った。数奇な運命としか言いようがない。「普通に仲良しです。ご飯にも行きますよ。プロの世界で戦いたいとかはないですけど……。でも、戦いますよね。頑張ります」。岩崎はどこまでもマイペースだった。
「ピッチャー歴2年で甲子園優勝って、教育的にちょっと良くないですね」。冗談っぽく笑った右腕は、少しまじめな表情でこう続けた。「僕はすごく運がある方だと思います。でも、これからは運だけじゃ生き残っていけないので。ドラフトで入団した支配下選手では一番下の順位だし、這い上がっていきます」
履正社高で全国制覇を果たし、名門の東洋大からプロ入りを果たした右腕。一見すればエリート街道をひた走ってきたかのように見えるが、その道のりは真っすぐではなかった。目標に掲げる千賀滉大投手のような絶対的エースとなるため、今後は自らの力で道を切り開いていく。