大ブレークを果たした正木の1年
球団の福岡移転後、初のパ・リーグ3連覇を成し遂げたホークス。鷹フルではさまざまな角度から今シーズンを振り返っていきます。恐怖の1番打者として大ブレークを果たした正木智也外野手。5年目の今季は94試合に出場し、打率.286、27本塁打、58打点。素晴らしい活躍を見せた一方で、開幕直前には右足の手術により出遅れ、1人ベッドで涙を流した夜がありました。「野球の神様に見放された」ーー。どん底まで沈んだ状態から這い上がった男の本音に迫りました。
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2026年のホークスを象徴する存在だった。球団記録を更新する7本の先頭打者アーチを放ち、6月24日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)では打球速度188.5キロを記録する驚愕のアーチを放つなど、記憶にも記録にも残る活躍を見せた正木。「本当にここまで打てるとは思っていなくて。『2桁ホームランを打てればいいな』くらいに思っていたんですけど。目標としていた規定打席にも乗って、良い1年になったかなと思います」と笑顔を見せる。
歓喜の瞬間を迎えた一方で、遡ること約6か月前。開幕を目前に控えた3月18日に、正木は再び野球から離れることになった。右足の蜂窩(ほうか)織炎による手術ーー。昨季もシーズン序盤に左肩を亜脱臼し、長期離脱を余儀なくされた。「2026年は絶対にレギュラーを取ってやる」。その思いを胸に過ごしてきただけに、開幕前の離脱はあまりにも苦しかった。「今年もダメなんだ」ーー。忘れもしない、涙を流した夜の記憶があった。
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この先で分かる3つのこと
「神様に見放された」正木がベッドで流した涙の訳
救われた2人の存在「本当に心の支えになった」
恩師・小久保監督への思い…覚醒の裏にあった絆とは
「怪我をした時に泣きました。入院した夜、病院のベッドで1人」
昨年の左肩関節亜脱臼による長期離脱を乗り越え、自分でもやり切ったと言えるほどのオフ期間を送った。「去年も『今季絶望と言われた時は、正直かなり落ち込んで……。最初は切り替えられないくらいでした。でもまたそこから頑張って、レギュラーを獲るという気持ちで過ごしてきたので」。夜中、病院のベッドで色々な感情が脳裏に浮かんできた。
「だいぶ考えましたね。今回は怪我とかじゃなくて感染症だったので。『何してんだよ自分』というよりは、『俺、本当に野球の神様に見放されたかもな』って。そこから『今年もダメなんだ』『なんか悪いことしたっけな……』『なんでだよ』みたいなことを考え出して。気持ち的にかなり落ち込みました」
支えになった2人の存在「心の支えに」
離脱する直前にも、「今年は絶対にレギュラーを掴み取るんだ」という執念が見て取れた。3月14日、初めて右足に違和感を覚えた。「筋肉痛かな」。しかし、日に日に痛みは増し、痛み止めを飲みながら試合に出続けた。オープン戦では打率.188と苦しんでいた正木にとって、それは生き残りをかけた1試合、1試合だった。「ここで離脱するわけにはいかない」。忘れられないのは離脱する前日、3月17日の記憶だったーー。
「夜中に何回も目が覚めるくらい痛くて。朝起きた時もベッドから出る時に足を付けなくて。でも、開幕スタメンを取るためにリハビリからずっと頑張ってきたので。次の日に病院へ行くことは決まっていたので、スパイクに穴をあけたクッションを2枚入れて、それでも歩くのも痛くて。『ここはやらないといけない時だ』と思って、結構無理して試合に出ていました」
翌18日に病院を受診し、そのまま入院。2日後の20日には膿を出す手術を受け、24日に退院した。翌25日からはすぐにみずほPayPayドームを訪れてリハビリを開始した。涙を流すほどの夜を過ごしたが、「すぐ切り替えられました」と語る。支えになったのは、リハビリ期間を共にした門田大祐アスレチックトレーナーと森下拓実SC(ストレングス&コンディショニング)の存在だった。
「だいぶ大きかったです。森下さんは『1軍に戻ったら打てるようにトレーニングを頑張ろう』と、色々なメニューを組んでくれて。僕が疑問に思っていることに全部答えてくれました。ドームで3週間くらいリハビリをした時に、何度も気持ちが落ち込みそうになりましたけど、門田さんも『1軍で20本(の本塁打を)打てるようになるために頑張ろう』って言ってくれて。ほぼマンツーマンでトレーニングを見てくれたり、病院にもついてきてくれて。本当に心の支えになりました」
小久保監督への感謝…1番打者として「だから今の自分がある」
約1か月半のリハビリ生活を経て、5月4日にファーム・リーグのオリックス戦(タマスタ筑後)で実戦復帰を果たした。「正直、2軍戦で復帰した時には『これは1軍に戻っても規定打席は無理だな』と思っていて。『そんなに早く上げてもらえないだろうし、最短で上がっても6月かな』って落ち込んでいましたけど、監督がすぐに(1軍へ)上げてくれて」。同15日の楽天戦(楽天モバイル最強パーク)で今季初昇格すると、いきなり左翼スタンドへ今季1号アーチを放った。翌16日から1番で起用されると、その後はトップバッターに定着し、出場を続けている。開幕前に目標と語っていたキャリア初の規定打席にも到達し、打撃3部門全てでキャリアハイの成績を収めている。
「1番じゃなかったら規定打席には到達していないと思いますし、今考えたらオープン戦も調子が上がってきていなかったので。その期間で怪我をして、色々と発見したものや、自分の感覚を掴んだというのもありますし。去年も脱臼してからトレーニングをめっちゃやって、パワーが伸びたというのもあったので。『怪我をしてよかった』とまでは言いたくないですけど、怪我があったからこそ、こうしてレベルアップできたというのは事実なので。運が悪いなとか、見放されたと思っていましたけど、結局はそれがあったからこそ今の自分があるかなとは思います」
1番として起用し続けてくれた小久保裕紀監督は、正木の1年目から2軍監督として背中を押してくれた存在だ。「去年も手術をした方が良いと背中を押してくれたり、1年目の時にもバッティングを教えてもらって、1軍で初ホームランが打てたり。そういう自分の野球人生のターニングポイントで言葉をかけてくれたりとか、すごく見てくれているなと感じるので。小久保監督の言葉をすごく信頼しています」。この活躍は指揮官への恩返しであり、苦しいリハビリ生活が報われた瞬間でもあった。
「先頭打者ホームランの数とか、打球速度とか。そういうので注目され始めた時は、本当にそういう選手になれるとは思っていなかったので。なりたいとは思っていましたけど、まさかこんなに注目してもらえるとは……。そういう選手になるために本当に努力してきてよかったなと思います。そういう選手にならないと、ホークスではレギュラーを取れないと思って、危機感を持ってやってきたので。すごく頑張ってよかったなと思います」
昨年の日本シリーズ直後のビールかけは、貢献できていない悔しさから、挨拶が終わるとすぐに会場を後にした。「そういう意味では今年は特別なビールかけ、優勝になりそうです」と笑顔を見せる。「本当に自分の中で自分を信じるのをやめないように、『俺ならできる、俺ならできる』というのはずっと思っていました。気持ちが沈まないように頑張ってよかったです」。野球の神様は正木智也を見放していなかった。
(森大樹 / Daiki Mori)