高校を卒業して滋賀の独立Lで過ごした1年間
「あの生活には戻りたくはないですよね」。苦笑いを浮かべたのは、それだけ濃密な日々を駆け抜けた証だ。山本祐大捕手が思い返したのは、滋賀県で過ごした19歳の1年間。スポットライトを浴びる今の姿からは想像もつかない、泥臭く這い上がった男の原点に迫る。
トレードが発表され、みずほPayPayドームで記者会見が行われた5月13日。山本祐は自らの歩みについて、こう振り返っていた。
「毎日が大きかったなと思いますし、ドラフト9位でプロに入った時は1軍でやれるとも、まさかソフトバンクさんに移籍するとも思っていなかったので。これも大きな出来事ですし、客観的に見て『すごいな』と思います」
京都翔英高での3年間を終えて、滋賀ユナイテッドベースボールクラブに入団した山本祐。1年で結果を残すと、2017年ドラフト9位でDeNAに指名された。支配下では全体の“最終指名”となる82番目。プロへの扉をこじ開けた瞬間だった。「まずはこの世界に入れたことが嬉しかったですね」。その裏にあったのは、絶対に譲らなかった捕手への“執着”。モヤシ炒めで飢えをしのいだ極貧生活、過酷だったバス移動――。全てをかけて這い上がった、知られざる「下積み時代」の記憶とは。
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この先で分かる3つのこと
進路に迷った時に貫いた「稼ぐ」ための意外な基準
「バスで10時間」…苦難を極めた独立リーグ時代の裏側
飽きないように工夫を重ねた「モヤシ炒め」の極貧生活秘話
大学をやめて…直後に進路を即決した絶対の基準
「僕からすれば、野球ができたことがすごく特別な1年間でした。なおかつキャッチャーをやらせてもらえたので。それまでの高校生活だと、外野をはじめ他のポジションもやりながらキャッチャーをやっていたので。マスクだけに専念することがなかったんです。だから充実していたシーズンでしたし、大変でしたけど楽しかったです。野球人生において、すごく濃密な時間だったかなと思っています」
高3夏に甲子園出場を果たしたが、山本祐のポジションは中堅で、マスクを被っていたのは石原彪捕手(現楽天)だった。1回戦で鹿児島・樟南高に敗れ、幕を閉じた3年間。進路をどうするのか――。自らの今後を考えた時、重点を置いたのが「捕手ができるかどうか」だった。
「大学に行ったんですけど、そこをやめたのもキャッチャーをやらせてもらえないという理由が強かったです。社会人にしても、プロの世界にしても、その他の可能性があったとしても、お金をもらいながら野球をするにはキャッチャーしかないと思っていたので。根本的なところとして、自分の中でも(決断するための要因が)ありました」
お金を稼ぐ――。プロとしては当然、重要な考えだが当時はまだアマチュア選手。“野望”というよりは、とにかく自分の技術を極めたいという思いが山本祐を突き動かしていた。「物欲とか興味もあんまりないですし、私生活はしょうもないですから(笑)。でも高校を卒業した時も、野球はやりたいなと思っていましたし、野球をやれる道には進みたいなと思っていました」。自分の心の中に打ち立てた“捕手としてプレーする”という絶対の基準。紆余曲折しながらも、自らの道筋に迷うことはなかった。
新天地が滋賀になったのも“必然”だった。「キャッチャーがいなくて、むしろ困っていると言われたので」。即決だった。今では心がけることが当たり前になっている気遣いや目配りも、当時はなかなか理解できなかった。「右も左もわからないまま、バッターのレベルも高くなって。キャッチャーが何をすべきかも本当にわからなかったです。それくらい、毎日が勉強だった感じはありましたね」。滋賀の地に思いを馳せる表情は、どこか懐かしそうだった。
滋賀県での一人暮らし…移動も「バスで10時間とか」
山本祐が入団した2017年、滋賀ユナイテッドベースボールクラブは球団誕生1年目のシーズンだった。「僕も普通にお金がなくてしんどかったです。移動も、バスの補助席で10時間とかあったので。今やると、腰が終わりますね」。高校時代の3年間を強豪校で過ごしただけに「独立の環境も当時はそこまで厳しいとか思っていなかったんですけど。今思えば、あの生活にはちょっと戻りたくないですね」。濃密な記憶ばかりが心に刻まれているからこそ、苦笑いを浮かべた。
滋賀県・草津市での一人暮らし。生活も当然、苦しかった。自室の間取りは「1K」。特に自炊では工夫の連続だった。「サバの缶詰も食べていましたし、お米は家から仕送りしてもらっていたので。お米だけ炊いて、モヤシ炒めを作ったりしていました。へへへ(笑)」。塩胡椒や焼き肉のタレ……。飽きないように何度も味付けを変えた。福岡に移籍して、9年目のシーズンを過ごしている背番号39。スポットライトを浴びるプロ野球選手になったが、ここに辿り着くまでには「戻りたくない」ほどの下積み時代があった。
「あのチームにいっていなかったら、プロ野球選手にもなれていないと思うので。すごくいい選択にはなったんじゃないかなと思います」
山本祐大の言葉に覚悟と泥臭さが滲み出るのは、どんな時も這い上がってきたから。自らの道を極め、たどり着いた福岡の地。今はホークスのために、捕手として輝く。
(竹村岳 / Gaku Takemura)