山本恵大の右肘手術、痛みと戦う姿に周東が溢した本音
ギリギリまで決死の覚悟で戦う愛弟子の姿は、“師匠”の目にどう映っていたのか――。6月中旬から抱えていた右肘痛。それでも自ら「離脱」を選ぶことだけはしたくなかった。周東佑京外野手が、山本恵大外野手から右肘手術の決断を知らされたのは、7月末のオールスター期間中だった。
今月7日、山本恵が佐賀県内の病院で右肘内側側副靭帯インターナルブレース修復術を受けたことが発表された。全治は6~8か月の見込みで、今季中の復帰は絶望的。2027年シーズンでの実戦復帰を目指すことになった。
周東と山本恵。2人は今年1月の自主トレをともにした「師匠と弟子」という間柄だ。昨年夏、山本恵から志願されたことで実現した。背番号23のチームリーダーがオールスターという夢舞台に出場する中、愛弟子からLINEで届いたのは手術の報告。自分自身も満身創痍で戦ってきたからこそ、理解できる思いがあった。「僕はなんか……」。口にしたのは、意外な言葉だった。
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この先で分かる3つのこと
山本恵の手術報告に周東佑京が「嬉しかった」と語った理由
右肘の激痛を押して決死のダイビングキャッチに込めた執念
リハビリへ向かう愛弟子の背中を押す周東佑京の愛ある言葉
「右肘が痛いのは元々知っていましたし、しょうがないです。でも自分の立場的に怪我をしたら(試合に)出られなくなる、(2軍に)落ちるとか色々ある中で、限界までやったことが『すごく良いな』と思いました。もちろん周りからは『大怪我をする前にやめた方がいい』と思われるかもしれないですけど、でも限界までやり切ったというのが僕はなんか嬉しかったです」
6月16日の2軍練習中、右肘に起きた異変――。それでも山本恵は、再び1軍に戻ってプレーしたいという一心で、怪我を押してプレーを続けた。再昇格を果たしてからも、注射を打ちながら毎試合に臨んでいた。周東自身も昨季、4月に死球を受けて右腓骨を骨折し離脱。7月には守備の際に腰を痛め、痛み止めを打ちながら試合出場を続けた。強い精神力だけでグラウンドに立ち続けた背番号「77」の気持ちを、痛いほど理解していた。
「結局、僕もいつも手術するところまで行っちゃうので。それが良いか悪いかは分からないですけど、弱い選手は途中で(プレーを)やめちゃうと思うんです。そこの気持ちの強さをやっぱり持っていたのが、僕的にはすごく嬉しかったですけどね」
7月24日から始まった西武との3連戦(ベルーナドーム)が、山本恵にとって今季最後の出場となった。24日には右翼守備でダイビングキャッチ。中堅の位置から眺めていた周東は「あそこで全力プレーをしないのは無理ですよ。そんなに毎試合出ていたわけでもない。やっぱり爪痕を残したい気持ちもあるし」。最後の最後まで愛弟子の思いを感じ取り、全力で戦った姿を称えていた。
「山ちゃんなら大丈夫」送ったエール
1軍と2軍で離ればなれだった時。周東が映像で愛弟子の動向を細かくチェックすれば、山本恵も「佑京さんと野球をやりたいと思って1軍にきたので」と語っていた。7月26日の西武戦、三走だった背番号77は浅い飛球で本塁を狙った。ヘッドスライディングで先制点をもぎ取り、師匠と交わしたハイタッチは忘れられない記憶となって心に刻まれたはずだ。
2021年には左肩の手術を受け、半年以上のリハビリを経験したことがある周東。長く、暗い道のりを歩むことになった山本恵へ――。口にしたのは、優しいエールだ。
「この(リハビリ)期間をどうするかが大事だと思います。でも山ちゃんなら大丈夫です。やるべきことをちゃんとやると思うし、できる選手だと思うので」
師匠の背中を追いかけ、1軍で活躍するために戦い抜いた日々。リハビリ生活を乗り越え、さらに強くなった山本恵大が帰ってくるはずだ――。
(森大樹 / Daiki Mori)