先輩からの助言に「そんなことないやろ」 新人王獲得の直後…後悔の“3か月”

取材に応じた三瀬幸司氏【写真:森大樹】
取材に応じた三瀬幸司氏【写真:森大樹】

連載「鷹を彩った男たち」三瀬幸司編②

 ルーキーイヤーの2004年に新人王と最優秀救援投手のタイトルを獲得した三瀬幸司氏。これ以上ない形でプロ野球人生をスタートしたかに思われたが、2年目以降は少しずつ歯車がかみ合わなくなっていた。

「1年目と違って、がむしゃらに投げられていない自分がいたんです。どうしても『ボールがきていないな』と。どうしたらいいんだろうと悩みながらマウンドで投げ続けていました」

 開幕から12試合の登板で1点も失うことなく、1勝11セーブ、防御率0.00と最高の出だしとなった2005年シーズン。それでも、どこか感覚のずれを感じていた。不安は現実となる。5月以降は打たれる場面が増え、2軍降格を経験。最終的には2勝2敗11ホールド18セーブ、防御率4.73と春先の姿からは信じられない数字が残った。

 なぜ突如として成績を大きく落としてしまったのか。当時起きていた異変の背景を明かした。「それが本当に後悔というか」――。

先輩・吉田修司氏からのアドバイスも

 大活躍した2004年を終えた左腕は初めてのオフを迎えていた。「『来年もやらなきゃいけない』という思いがあって。あまり疲れを抜く期間を設けずに、ずっと動いていました。変に休む方が怖くて……。『なにか失うんじゃないか』と思っていました」。

 当時、先輩の吉田修司氏からは「お前休めよ。1年の疲れって知らないところで溜まっているから。野球をやりたくなるまで1回休め」とアドバイスされた。それにも関わらず、三瀬氏はトレーニングを緩めることはなかった。

「『そんなことないやろ』って。疲れているって実感が全然なくて。あそこで一瞬でも休んで、リセットする期間を設けた方が良かったかな」。この年にプロ16年目を終えた大ベテランのアドバイスを聞かなかったことは、左腕の心に今も後悔として残っている。

 約3か月のオフが終わり、迎えた2005年の春季キャンプ。思い通りのボールがいかない日々が続き、1人で悩みを抱え込んだ。「ボールが全然走らなくて『なんか調子悪いなあ』っていう感じがずっと続いていました」。

拭えなかった不安「ジョーの配球があったから」

 そのまま2年目のシーズンに入り、序盤は結果だけを見れば絶好調のスタートだった。それでも、頭から不安を消せずにいた。「本当にずっと調子が悪かったので。1イニングだからたまたま抑えられていたという感じでした。それにジョー(城島健司氏)の配球もあって点を取られていなかったと思います。それでも、やっぱり去年とは違うなっていうのが自分の中でありました」。

 もがき苦しむ中で、三瀬氏にとって忘れることのできない瞬間が訪れる。「いいところへ投げようとしすぎる自分がいて。その中でも腕が振れていないから、去年よりボールが走らない。スライダーにもキレがないので、空振りが取れないんですよね」。日々の悩みが“最悪の形”で表れたあの一球――。

 2005年6月2日の阪神戦。三瀬氏の投球によって甲子園球場はすさまじい怒号に包まれた。大げさではなく、その後の野球人生を大きく変えた“頭部死球”。左腕が今だからこそ語った真実とは。

【第3回へ続く】

(森大樹 / Daiki Mori)