
「鷹を彩った男たち」三瀬幸司編①
鷹フルの新連載「鷹を彩った男たち~ソフトバンクホークス20周年、紡ぐ想い~」。第4回は三瀬幸司氏の登場です。2003年ドラフト7位で28歳の時にプロ入りした左腕。1年目から抑えに定着し、新人王と最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。ド派手なデビューを飾った一方で、2年目以降は成績が低迷。記憶に残る金本知憲氏への頭部死球や中日へのトレード移籍……。明から暗まで様々な経験をした左腕の半生を全4回にわたってお届けします。
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波乱万丈の野球人生は、誰にも期待されていない中でスタートした。地元・香川の中学校に進み、入部した軟式野球部。ポジションは外野手だった。「小学校の時は何もやっていなかったので、まずそこで周りから『ピッチャーはやめとけ』みたいな。そんな感じでした。その時はプロなんて口にするのも恥ずかしいくらいでしたね」。ダイエー、ソフトバンク、中日でプレーした元セーブ王、三瀬幸司氏はそう振り返る。
高校2年で投手に転向し、岡山理科大でも野球を続けたが、なおプロへの道は見えないままだった。社会人チームの解散をきっかけに入団テストを受けることになった三瀬氏。同学年の高卒選手よりも10年遅れて、プロの世界に飛び込んだ。
所属していた社会人野球チーム「NTT中国」が休部になると、ダイエーから問い合わせが来た。「巷では『三瀬はNTT西日本に移籍する』って噂があったらしいんですけど、僕は1つの区切りとしてもう野球を辞めようと思っていたんです」。
当時27歳。「この年齢でどうなんだろう」と思いながらも、1度スカウトに会った。話をすると、「ホークスの入団テスト受けてみないか?」と声をかけられた。当時はまだ育成制度もなかったため、正式に獲得するには形式上試験を行う必要があった。
100打点カルテットを擁し、圧倒的な破壊力を誇る「ダイ・ハード打線」でリーグ優勝を果たした2003年。日本シリーズ開幕前の1軍練習が行われていた雁ノ巣球場で入団テストは実施された。
着替え場所が一緒で遭遇「うわ、松中や」
「まだドラフト前だから、偽名を使えって言われましたね(笑)。ロッカーは選手が使うからと言われて、球場の奥の部屋で着替えていたら、ベテラン選手がそこで着替えているんですよ。ぱっと入ったら大道(典良)さんとか松中(信彦)さんとかがいて。『うわ、松中や』みたいになって」
テストでは、王貞治監督と尾花高夫投手コーチの前で投球を披露した。その直前には新人ながらシーズン8勝を挙げた新垣渚投手が投球練習をしていた。「150キロ以上を投げるピッチャーって『どんなすごい球を投げるんだろう』ってワクワクしていたんですよ。でも、ちょうど肉離れをした直後だったみたいで、あまり良くなかった。実際見ていても、『あんまり大したことないな』みたいな感じだったんです」。
「王監督から『こいつらと勝負して勝てるか』って言われて。『はい、勝てます』って言いましたけど、その時は。でもプロ入った後に渚の球を見たら、びっくりするくらいのボールを投げてたので。『あの時は何やったんだろう』と。『(あの時の)調子が悪いにも程があるやろ』くらいな感じでした」。そのままの勢いで2日間のテストを終え、無事にドラフトで7巡目指名を受けた。
家族からは猛反対されたプロ入り
しかし、家族はプロ入りに猛反対だった。「もう子どももいたので、妻は大反対でした。年上の姉さん女房で、どちらかというと安定を望むタイプだったので……」。社会人とは違い、プロ野球の世界はいつ戦力外通告を受けてもおかしくない。
「まずスカウトと会うっていう時点で『何のために会う必要があるの?』って。その時点でキレられましたね」と振り返る。そんな中、救いとなったのが妻の父の一言だった。「義父が野球の好きな方で『じゃあ、ちょっと行かせてやれよ』って言ってくれました」。
巡ってきたプロ入りのチャンス。社会人3年目で一度は諦めた夢だった。「どうしても行きたくて、どうにかならんかなと考えていたら、ちょうどそのタイミングで妻が『行っていいよ』って言ってくれて」。プロ入り後は大きな支えになってくれたという。
プロ入り直後から感じていた手応え
プロ1年目は順風満帆なスタートとなった。「真っすぐで差し込めるし、スライダーで空振りも取れる。やっていけるという感触はありましたね」。大学時代から投げ始めた決め球が絶大な効果を発揮した。
チームは前年に日本一となり、「勝つのが当たり前」という雰囲気があった。その中で抑えのポジションは固定されておらず、前年も篠原貴行投手らが試されていた。「出るピッチャーがみんな9回に打たれていて。『三瀬さんでいいんじゃないですか』って、ジョー(城島健司)が言ってくれたと聞きました」。正捕手の一言でクローザーとして開幕を迎えた。
「本当にただがむしゃらに投げていました。死ぬほど緊張しながらも、1年よくやったと思いましたね。ジョーも上手く引き出してくれました」。55試合に登板し、28セーブ。新人王と最優秀救援投手のタイトルを獲得し、最高のスタートを切ったのだった。(第2回へ続く)
(森大樹 / Daiki Mori)