ダイ・ハード打線を生んだ“独特の雰囲気” 柴原氏が明かす「バラバラっちゃバラバラ」の真意

現役時代の柴原洋氏【写真提供:産経新聞社】
現役時代の柴原洋氏【写真提供:産経新聞社】

プロ野球記録のチーム打率.297…今も語られる“最強”

 今なお“歴代最強打線”との呼び声高いダイ・ハード打線。特に2003年のラインナップは強烈だった。球史初となった「100打点カルテット」を中心に、プロ野球記録のチーム打率.297を記録。チーム内で6人もの3割打者が生まれた中で、主に8番に座ってリーグ5位の打率.333をマークしたのが柴原洋氏だった。

 村松有人、川崎宗則、井口資仁、松中信彦、城島健司、ペドロ・バルデス……。そうそうたる強打者が名を連ねた中で、柴原氏が当時を振り返った。「各々のキャラが強かったですね」。明かしたのは、チームを覆っていた独特な雰囲気と、バチバチとしたライバル意識だった。

「『俺が活躍すればチームは勝つ』という意識を全員が持っていた感じですね。最終目標は優勝なんですけど、そこに対して自分が何をしないといけないか。役割分担がすごくはっきりしていたと思います。みんながみんな、4番バッターというタイプじゃなかったので。僕だったら塁に出る、かき回す、打率を残す選手。クリーンナップはホームランを打つ、打点をあげる。そういう役割を各々が分かっていたのかなと思います」

小久保氏の不在「キャプテンのためにという気持ちは…」

 強いチームの“お手本”とも言うべき高いプロ意識を各々が持っていたと証言する柴原氏。一方で、当時のチームメートがプライベートまで特段仲が良かったわけではなかったという。

「バラバラっちゃバラバラだったかもしれないですね。それでも目指すものは1つだった。個人的に好きとか嫌いとかじゃ全然ないんですよね。1人1人が“職人”だった感じがします。別に誰かと誰かがご飯にいかないとか、話もしないとか、そんなことはなかったので。当時は小久保(裕紀)さんが怪我をしたので、『小久保さんのために』『キャプテンのために』っていう気持ちは、みんな持っていたかもしれないですね」

 個性的なメンバーをしっかりとまとめ上げていたのが、現1軍監督の小久保氏だったという。「本当にキャプテンシーを持った方なので。だから厳しいですよ。曲がったことが嫌いだし、手を抜くことに関しては嫌がる人だった。僕たち後輩はそういう面に関して、しっかりやらなくちゃいけないなというピリッとした気持ちになっていましたね」。

現在のホークスに抱く“違和感”とは…

 現在は野球解説者としてグラウンドで小久保氏と会話する機会も多い。和やかなムードで言葉を交わしているかに見えるが、背筋は伸びたままだ。「大学生で言えば小久保さんが4年で僕は1年なので。神様と奴隷です(笑)」。冗談っぽく笑った柴原氏だが、今のホークスに対しての“違和感”も口にする。

「今の若い子たちは言い方が悪いですけど“仲良しこよし”になりすぎてる部分があるから、どうなのかなって。同じように共倒れしていくような感じがするというか……。昔は『俺が俺が』って感じだったので、1人倒れようが2人倒れようが、そのほかでカバーできていたのかなとは思いますけどね」

 球史に残る破壊力を誇ったダイ・ハード打線。個人個人の能力が高かったことは当然だが、ピリッと張り詰めた空気の中で各々が与えられた仕事を着実にこなすプロ意識こそが力の源泉だった。主役のそばでつなぎ役を見事に果たした柴原氏は、決して欠かすことのできない存在だった。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)