工藤公康と頬張った焼き鳥…26年経っても「覚えている」 たった1年でも深めた絆【ペドラザ編②】

鷹フルのインタビューに応じたロドニー・ペドラザ氏
鷹フルのインタビューに応じたロドニー・ペドラザ氏

ペドラザ編②恩人への感謝、続く関係

 ホークスの同僚として過ごしたのは1年だけだったが、チームの先頭に立つ姿はまぶしく、頼もしかった。ソフトバンクの前身、ダイエー時代にクローザーとして優勝に貢献したロドニー・ペドラザ氏が、真っ先に思い出すホークス戦士がいる。元監督で、当時は大エースだった工藤公康氏の名前を挙げ、こう言う。
 
「僕らのリーダーの1人が彼だった」

 ホークスが福岡移転後初優勝を飾った1999年。ペドラザ氏は来日1年目にして守護神の座に就き、3勝1敗27セーブ、防御率1.98をマークした。一方の工藤氏は、エースとして11勝(7敗)を挙げ、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。MVPにも輝いた。抜群の成績もさることながら、その存在感の大きさは、まだ異国に来たばかりでチーム事情も熟知していないペドラザ氏でもはっきりとわかった。

「チームがうまくいっていない時、真っ先に『大丈夫、次の試合に集中しよう』と声を掛けてくれるのが彼だった。僕のところに来て、心配するなと声をかけてくれるいい人だった。それが本当に素晴らしいことだと、いつも僕は思っていたんだ」
 
 個人的にも、気をかけてもらった。1999年7月24日、西武ドーム(現ベルーナドーム)で行われたオールスターゲーム第1戦の試合後のことだった。

「工藤さんに焼き鳥を食べに連れていってもらったことを覚えている。彼は『よしっ、今夜は俺とお前で夕飯食べに行くぞ!』という感じで。僕は『OK、了解!』みたいにね。彼は西武に長い間在籍していたから、あの辺には詳しかったのだろうね。彼が僕のために時間を使ってくれたことがうれしかった。チームの中で最高の選手の1人だったし、エースだった彼が、食事に連れて行ってくれて、僕のことを気に掛けてくれていたんだから」と楽しそうに思い返す。2人で頬張った串の数々はもちろん美味かったが、なにより誘ってくれた気遣いがうれしかった。

「テキサスの西の方あたりで会おうか?」

「僕は、工藤さんを尊敬している。外国人選手は毎年のように入れ替わるもので、いつまでチームにいられるかわからないから、日本人選手と仲良くなるのはなかなか難しい。でも、工藤さんは本当にいい人で、親しく接してくれた」。わずか1年でも濃密な時間を過ごし、絆を強めるには十分だった。

 翌2000年、工藤氏は巨人へFA移籍。皮肉にも同年の日本シリーズでは、リーグ連覇を果たしたダイエーと巨人が対戦した。第1戦は工藤氏が巨人の先発を務め、逆転勝ちしたダイエーはペドラザ氏がセーブを挙げた。
  
 ペドラザ氏にとっては、6歳上の先輩。自身が34歳シーズンの2003年限りで現役を引退した後も、工藤氏は7年間も現役を続け、47歳の2010年まで投げ続けた。
 
 2人の友情はペドラザ氏の帰国後も続き、シーズンオフには工藤氏が自主トレの拠点としていた米アリゾナ州フェニックスと、ペドラザ氏が住むテキサス州の間で電話をしたこともある。「工藤さんのいるフェニックスと、僕が住むテキサス州のところとの間には距離がある。『真ん中を取ってテキサスの西の方あたりで会おうか?』なんていう話もしたけれど、結局実現しなかった」と笑う。

ダイエー時代の工藤公康氏【写真;産経新聞社】
ダイエー時代の工藤公康氏【写真;産経新聞社】

幻のメジャーリーグ移籍?

 時は過ぎ、ペドラザ氏は55歳に、工藤氏は61歳となった。日米の野球界もずいぶん変わった。ペドラザ氏の来日当時、日本人メジャーリーガーはパイオニアの野茂英雄をはじめ投手だけで、日本人野手は歴史上まだ1人も誕生していなかったが、「日本には素晴らしい選手が何人もいた。メジャーで通用する選手もいたと思う。オリックス時代のイチローさん(2001年にマリナーズ入り)とも対戦したことを覚えているよ。世界中のどのリーグに行っても彼なら活躍すると思ったよ」と振り返る。

“素晴らしい選手”の中には、もちろん恩人も含まれている。

「本当に才能があると僕が思っていた選手がたくさんいた。工藤さんもそのひとり。球自体も、投球術も素晴らしかったし、経験も十分だった」。当時の記憶を繋ぎ合わせながら、こんな“秘話”も添えた。

「確か、ロッキーズが工藤さんにオファーしたけれど、家族が向こうに移住するとなると難しいということになって、最終的に断ったと聞いたことがあるね」

 四半世紀前に比べ、ずいぶんとメジャーリーグが近くなった昨今。そしてペドラザ氏は「(当時の)日本人選手には海外でプレーするチャンスがとにかく必要だったと思う」と強調する。その心の内では、日本人と分け隔てなく接してくれた工藤氏との思い出が、今も息づいている。【第3回に続く

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(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)