狂乱の福岡「見たことない光景だった」 ペドラザが過ごした特別な2年間「王監督が大好きでした」

ペドラザ編③「あれはワイルドだった」

 福岡の街全体が、待ちに待っていた瞬間だった。1999年9月25日、福岡ドーム(現みずほPayPayドーム)での日本ハム戦。ソフトバンクの前身、ダイエーがリーグ優勝を飾った。球団創立後、フランチャイズを大阪から福岡に移転。苦節11年目の悲願だった。

 歓喜のマウンドの中心にいたのは、来日1年目の守護神ロドニー・ペドラザ氏だった。あれから26年。55歳となった現在は、故郷の米テキサス州で広大な牧場を経営している。当時の記憶は、昨日のことのように思い出す。思わず笑みを漏らし、こう言う。

「あれはワイルドだったよ……フフフフ」

 南海時代の1973年以来26年ぶり、福岡移転後では初のリーグ優勝とあり、お祭りムードは最高潮に達した。福岡県の福岡土木事務所(現・県土整備事務所)は事前に「非常に危険」と警鐘を鳴らしていたが、歓喜したファンが福岡市の「福博であい橋」から那珂川へ次々と飛び込んだのだ。ライブビューイングが行われた商業施設「キャナルシティ博多」でも、施設内の運河に飛び込んだファンがいたという。各局の夜のニュースで報じられているのを、ペドラザ氏も目にした。

優勝決めた“最後のアウト”の瞬間

「優勝を決めた試合後、食事に出かけた先のテレビで、福岡のファンが橋から川へ飛び込んでいくのを見たんだ。それまでには見たこともなかった光景だったよ……!」

 ペドラザ氏はこの年の4月、レンジャーズ傘下の2Aからダイエーに入団。日本デビューは5月にずれ込んだ。「来日した時はすでにシーズンが始まっていて、先発から救援に転向したり、同僚や文化のことを覚えたり、言葉の壁を感じることもあったけれど、チームの調子がよかったお陰で物事をスムーズに進めやすかった」と振り返る。リリーフとしての適性を見出され、守護神に。「自分の感覚的には、時間が早く過ぎていきました。何より毎試合ファンがスタンドを満員にしてくれた。野球選手としてそれ以上望むことはなかったです」と感謝する。

 優勝を決めた日本ハム戦で、ペドラザ氏は5-4と1点リードで迎えた9回に登板。2死を取った後、代打の藤島誠剛選手をカウント1-2から空振り三振に仕留めた。その瞬間、福岡ドームは大歓声で満たされ、ジェット風船が乱舞。ペドラザ氏は捕手の城島健司(現ソフトバンク球団CBO)と抱き合って喜びを爆発させた。「素晴らしい気分でした。うまく説明できるかわかりませんが、あの思い出は一生ものです。(3アウトを取るまで)集中しなければなりません。そして(終わった瞬間に)勝利を祝って、リラックスして。『終わった、僕たちは勝ったんだ』という感じでした。本当に素晴らしい経験で、向こうにいた時の上位に入る思い出です」と目を細める。

監督・王貞治のコミュニケーション術

 ペドラザ氏は1999年の中日との日本シリーズ、翌2000年のレギュラーシーズンと合わせて3度、優勝決定の瞬間をマウンド上で迎え、王貞治監督(現球団会長兼特別チームアドバイザー)を胴上げしている。

 言うまでもなく、王監督は現役時代にメジャーリーグの記録をも上回る通算868本塁打を放ったレジェンド中のレジェンド。「以前から彼のこと(名前)は知っていました。ただ彼が自分の監督になるだなんてとにかく信じられませんでした。本当にやさしく接してくれて、話しやすかった。英語に関しても、僕が話すことをかなり理解していたと思う」と理想の指揮官でもあった。「クローザーに転向する件も、僕たちは円滑に話ができていました。僕が連投しなきゃいけない時がある中で、健康な状態でいられるようにしたかったし、(抑えとしてやっていくための)計画を立てる上でうまくコミュニケーションが取れていたと思います」と頷く。

 2000年の日本シリーズでは、前年の福岡移転後初優勝に勝るとも劣らないフィーバーを経験した。対戦相手は長嶋茂雄監督率いる巨人。王監督と長嶋監督は現役時代に同僚で「ONコンビ」と並び称され、巨人の9年連続日本一(1965~1973年)の原動力となった。野球ファン待望の「ON対決」が実現したのは、後にも先にもこれ1度きりだ。

 ホークスは2勝4敗で2年連続日本一は逃したが、列島が注目するカードはペドラザ氏にとってもわくわくするものだった。「王さんも長嶋さんも長い間日本のアイコン的存在でしたね。彼らは長い間一緒にプレーして、たくさんタイトルも獲った。そして今度は対戦相手になって。残念ながら日本シリーズには負けたけれど、素晴らしい時間だった。そこにたどりつくこと自体が難しいので、素晴らしいことだったと思います」と鮮明な記憶として刻まれている。

 実はペドラザ氏は今も、ON対決にまつわる“お宝”を所持している。日本シリーズ開幕前に握手をかわす王監督と長嶋監督の姿が写った2枚組のベースボールカード。1枚には両監督の寄せ書き、1枚には王監督単独で直筆サインが書き込まれている。テキサス州の自宅に飾られたカードを眺めながら、ペドラザ氏は四半世紀前の思い出に浸っている。【第4回に続く】

※第4回は5月12日(月)公開予定です

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(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)