王貞治に「騙された」 巨人入団の“誘い”も…城島健司へまさかの告白「覚えていない」

ホークス時代の王貞治監督(左)と城島健司【写真提供:産経新聞社】
ホークス時代の王貞治監督(左)と城島健司【写真提供:産経新聞社】

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選手の本音や核心に迫る「鷹フル」

城島氏が回顧、王会長との出会いは野球教室…人生を変えた言葉

 中学時代に胸を躍らせた記憶が、48歳になった今も自身を突き動かす原動力となっている。12日、長崎県佐世保市で開催された「第22回城島健司杯記念野球大会」。長きにわたり故郷での大会開催を続ける城島健司チーフベースボールオフィサー(CBO)が王貞治球団会長との運命的な出会いについて語った。

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「開催する上で大きく影響したのは、やはり王さんです。(王さんがホークスの)監督だった時に『地元で野球大会をしなさい』というメッセージをいただいた。『地元で開催することはすごく価値がある。野球の原点やふるさとを大事にしなさい』と教えられました」

 大会開催の背景には、現役当時にホークスの監督を務めていた王会長の言葉に影響を受けたことがあると、城島CBOは振り返る。自身が現役時代にこの大会を立ち上げたのも、その教えが根底にあるからだ。

 城島CBOの野球人生においても、王会長との出会いは衝撃的だった。中学時代に参加した野球教室での出来事だ。「グラウンドに入れるのは1チーム2人だけ。あとはスタンドで見ているような時代でした。野球人口が多くて、球場は満員でした」。多くの野球少年が参加する中、ほんのわずかな時間だったが、最後の総評が野球人生を変えた。
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自身が主催した野球大会の開会式に出席した城島健司CBO【写真:長濱幸治】
自身が主催した野球大会の開会式に出席した城島健司CBO【写真:長濱幸治】

ダイエー入団後に…王監督は「覚えていない」

「名指しで『君はすごく体も大きいし、バッティングもいい。頑張って将来はジャイアンツに入りなさい』と言われたんです。中学生だった城島少年は、次の日から左で打っていましたからね。ジャイアンツに入るものだと思って、夢中で野球をやったのを覚えています」

 1994年のドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団すると、真っ先に王会長に当時のことを尋ねた。しかし、返ってきたのは「覚えていない」という反応だったそうだ。「今考えたら、いい子を見つけたらどこでも言っていたんでしょうね。その時の流行りだったのかもしれません」と城島CBOは笑う。「まんまと俺はそれに騙された。でも本当にその言葉があったからプロ野球選手を目指したんです」。

 王会長は当時から主力選手が野球教室や大会の開催を率先して行うことの大切さを説いていた。「小久保監督も長く地元で開催されているし、僕も22回続けています。王さんから引き継いだこの思いを、現場のトップである小久保監督とフロントにいる私たちが継続している姿を見せることが、今のホークスの選手たちへのメッセージにもなる」と城島CBOは語る。

「僕の冠がある野球大会があることは誇りでもあるし、原点でもある。王さんはそこまで考えて、地元に帰って野球教室をやりなさいって教わった。それって古臭いものじゃなくて、いい伝統なんです」。このような取り組みが将来の野球界に良い影響を与え、次世代へと継承されていく。未来の野球選手が誕生するきっかけになることを願って――。城島CBOは、グラウンドで野球少年たちと真摯に向き合っていた。

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(長濱幸治 / Kouji Nagahama)