耳に残る言葉「絶対に忘れるな」 川村友斗と小久保監督…今も2月が“緊張”する理由

インタビューに応じる川村友斗【写真:冨田成美】
インタビューに応じる川村友斗【写真:冨田成美】

昨年2月はまだ背番号「132」…1年が経ち「変なことをしたら評価に関わる」

 今春のキャンプからリニューアルしてお届けする「鷹フルリレーインタビュー」。今年はテキスト形式で掲載いたします。今回、登場してくれたのは川村友斗外野手。昨年2月は、まだ3桁の背番号を背負っていた時期。今も胸に刻んでいるのは、小久保裕紀監督から電話をもらった時の気持ちです。モットーは「止められるまではやる」――。

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 2月1日の練習を終えて川村は「宮崎のホテルに来ると、始まるなという感じがします」と背筋を伸ばしていた。昨年の春季キャンプでは、背番号はまだ132番だった。3月19日に支配下登録され、2024年シーズンは88試合に出場。打率.268、1本塁打、14打点、3盗塁と一定の結果も残した。立場も背番号も変わって迎えた今年の球春。今の感情については「緊張」と表現する。

「去年は育成で、必死こいて1か月を過ごしていました。今年は逆に、変なことをしたらそれこそ評価にも関わってくるので、去年よりも緊張しています。気が抜けている雰囲気とかを出したらダメだと思うので、そこだけは気をつけています。悪い方の意味で変わったと思われないように」

 普段は柔らかい雰囲気の持ち主だが、昨年2月は支配下登録を争っていただけに、「一番気を張っていた」。自分でも認めるほどピリピリした毎日で「最後、監督にも『いい姿だった』っていう記事も見ました」と、指揮官の褒め言葉は今も胸に刻まれている。1年が経ち、周囲から「変わった」と思われるわけにはいかない。「プレーは良くなったと言われたいんですけど、取り組みは2桁になって、さらに良くなったって思われたいですから」。今年ならではの緊張感が、自分を突き動かしてくれる。

「去年の気持ちというか、すぐに痛いとか言っていたら信頼も何もなくなる。『止められるまではやる』というのをモットーにしてやっています」

 そう言うだけのルーツは、やはり3桁時代にある。2023年4月、2軍戦で左肘に死球を受けて骨折。その直後、当時2軍で指揮を執っていた小久保監督から電話がきた。緊張しながら出ると「まずやろうとしたことは、野球においても、社会に出てからも必要になってくる。その気持ちは絶対に忘れるな。痛くても、できると思ったら言ってこい」。痛みに耐えればプレーはできる――。現役時代、数々の苦難を乗り越えてきた指揮官らしい言葉だった。川村にとっても早期復帰を誓った瞬間。あのギラギラした気持ちだけは、絶対に忘れてはいけない。

「そりゃ行くしかないでしょうと思って、まだちょっと痛かったんですけど、無理やりいきました。僕がプロに入ってから、“監督”はずっと小久保監督。プロ野球選手としてのあり方を教えていただいている方です」

 キャンプ中は、午前6時に起床。朝食を済ませると、行うのは「治療」だという。グラウンドで全力プレーができるように、球場に向かうまでに準備は必ず済ませておく。就寝は、遅くても午後11時。「眠くなったら寝ます。早く寝すぎるのも、『せっかく今日頑張ったのにまた明日が来ちゃう』と思ってしまうので、11時くらいまでには寝ようと思っています」と笑って話すが、日々の取り組みが安定してきたのは、少しずつ成長している証だ。

 ルーティンの1つが、必ず湯船に浸かること。練習を終えてチーム宿舎に戻った後は「まずはシャワーを浴びて、食事会場に行きます。ご飯を食べたらゆっくりして、お風呂に浸かりますね」。長風呂は苦手だというが、“お供”はスマートフォン。「(マイブームは新世紀)エヴァンゲリオンです。映画が何個かあるんです。今最終シリーズの途中まで見ているんですけど、ちょっとややこしいので。詳しい方がいたら教えていただきたいです」と、1日の中で唯一リラックスできる瞬間だ。

 栗原陵矢内野手との自主トレでは「丁寧」をテーマに挙げていた。直近の目標である開幕スタメンへの道筋を問われても「1日1日を大事にすることです。先は見ないです」と足元を見つめる。小久保監督が指揮を執っているホークスだからこそ、レギュラーになりたいと心から願い、努力している。

(竹村岳 / Gaku Takemura)