「野球できんくてもいいから、命だけは…」 病気公表の田上奏大が明かした苦難の日々

ソフトバンク・田上奏大【写真:冨田成美】
ソフトバンク・田上奏大【写真:冨田成美】

「あまり誰とも話したくなかった」…永遠にも思えた光の見えない日々

「もう野球できんくてもいいから、命だけは……」。感じたことのない恐怖が全身に押し寄せてきた。光の見えない日々を過ごしてきたからこそ、慣れ親しんだはずのマウンドが特別なものに感じられた。ようやく戻ってきた“日常”。自然とこみ上げてきた涙を止めることはできなかった。

 今春に「ランゲルハンス細胞組織球症」と診断され、長いリハビリ生活を送ってきた田上奏大投手が9日、韓国チームとの3軍戦で今季初登板を果たした。久しぶりのマウンド。上位打線をわずか5球で3者凡退に打ち取ると、安堵の笑みを浮かべてチームメートとグータッチをかわした。ベンチに座ると、大粒の涙が零れ落ちてきた。

 復活への一歩を刻むまでの道のりは長かった。田上は春先から病に苦しめられてきた。病名は「ランゲルハンス細胞組織球症」。非常に稀な免疫系の疾患で、背骨が溶ける症状が出ていた。球団の三森哲司ディレクター補佐兼メディカルコーディネータ代行は、田上の様子をこう明かしていた。「診断が出るまでは、腫瘍とも言われたりした。最初は生死に関わるかもしれないと、本人の中でショックがあった」。当時の心境を、右腕はありのまま明かした。

「人生終わったと思いました。癌やったらどうしようって。腫瘍って言われた時、『あ、終わった』って思いました」

 聞いたことすらない病名。原因も分からず、最悪の事態も想定するほど不安に苛まれていた。「もう野球できんくてもいいから命だけは……って感じでした」。日頃はポジティブな田上も、思考はどんどんと悪い方向へと向かっていった。

 田上が初めて大きな異変を覚えたのは、今春のキャンプ中だった。恒例の400メートル走が異常に辛く感じた。「最初は気付かずに野球をしていたんですよ。400メートル走もやり切ったんですけど、背中が痛すぎて走れなくて。毎日、熱も38度くらいあって。明らかに何かあったんですけど、でも投げることができていたんで(しばらくそのままでいた)。病院に行ったら背骨が溶けて、その上からめっちゃ骨折してたんです」と明かした。 

 症状は、痛め止めがなくては寝られなかったほどだったという。「本当にずっと体調が悪いし、背中もめっちゃ痛いし、地獄みたいな毎日でしたね、キャンプ中は。寝転んでも、起き上がるのも痛くて。立ってるのが一番でした」。

ソフトバンク・田上奏大【写真:竹村岳】
ソフトバンク・田上奏大【写真:竹村岳】

 キャンプの第1クール終了後、田上は球団に説得されて、病院で検査をするに至った。MRIとCTを撮ると、背骨の部分が少し透けて見えたという。三森氏は「腫瘍の可能性があると。大きな病気かもしれないから、精密検査をした方がいいとなったので、すぐ福岡に戻しました」と明かす。その後に「ランゲルハンス細胞組織球症」という病名が判明。命に関わる症状ではなかったが、いつ治るのか分からない。先の見えない日々が待っていた。

 しばらく大阪の実家に帰り、安静にしていた。1、2か月は「本当に寝たきりというか、もう何もできなかった」。チームメートらにも説明できない状況に「あまり誰とも話したくなかった」という時期もあった。「生きた心地がしなかった」中で、いつも通りに接してくれる家族の存在に救われたという。

 前に進むため、自ら福岡に戻る決断をしたのは、4月の終わり頃だった。リハビリ組に合流してからも体力面の不安は大きかった。5月頃には心境を吐露していた。「まだ体力とかもヤバいなと思うんで。ジョグがキツイとは思わないですけど、キャッチボールが全然、感覚が違うというか、遠いというか。塁間ぐらいでも遠投するくらいのイメージ。体も弱ってるし、筋肉とかも減ったんで。まだ全身が緩い感じで締まってないから、しゃあないと思うんですけど……」。

 体力面を考慮し、夏頃の復帰予定は頓挫していた。じっくり時間をかけ、9月24日に復帰後初のシート打撃登板にたどり着き、10月9日に実戦マウンドへ戻ることができた。「今年、野球ができるかすら分からなかったので。病院とかを探してくれた球団や、いつも支えてくれた家族にもすごく感謝しています。シーズンはほぼ終わったけど、今日こうやって復帰できてよかった」と安堵した。

 試合後は様々な思いを涙ながらに語ったが、田上は強かった。「(選手として)何もできなかった悔しさはあるけど、なかなかないことを経験できてるので」。辛かった経験も、今では前向きに受け止めている。「周りの人は応援してくれてるんで、全然大丈夫です」とうなずいた。

 ある時、「こういうのって、どうやって公表すればいいんですかね」と不意に相談されたことがある。辛かった日々をむしろ公表し、同じ病気で苦しむ人に勇気を与えられる存在になりたいという思いに至った。三森氏は田上の思いを代弁する。「ドクターから、この病気は小児の患者さんが多い。スポーツ選手として、本人が頑張っている姿に影響力があるんじゃないかと。(本人から)積極的に(現状を)お伝えしたいという訴えがあったので、こういう形にさせていただきました」。球団も公表を後押しした。

「僕は元気だし、気持ちももう前向きになっているので。今は楽しいし、いい経験になったんじゃないかなって思う。よかったです」。多くのファンに大声援で迎えられ、田上が笑顔でマウンドに帰ってきた。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)