痛恨の逆転負け…ブルペンで起きていた“異変” 松本裕樹と首脳陣が下した「ギリギリの判断」

ソフトバンク松本裕樹(左)と倉野信次1軍投手コーチ【写真:荒川祐史】
ソフトバンク松本裕樹(左)と倉野信次1軍投手コーチ【写真:荒川祐史】

守護神の松本裕が右肩痛で抹消へ…V目前のチームに訪れた“試練”

 チームの誰もが「勝利」という2文字のため懸命に戦った。結果だけを見れば痛恨の逆転負けだが、現場では最善を尽くすために「ギリギリの判断」が下されていた。

 3点リードの9回に6点を奪われ、ショッキングな敗戦を喫した4日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム)。ロベルト・オスナ投手の帰国後、“代理守護神”として奮闘してきた松本裕樹投手は右肩痛のため出場選手登録を抹消される見込みとなった。ベンチで、そしてブルペンでは何が起きていたのか。当事者の言葉から、その舞台裏が明らかになった。

 8回の攻防を終えて3点をリードしたホークス。当然、9回のマウンドに上がったのは松本裕だった。試合前時点で49試合に登板し、14セーブ、23ホールド。ここまでフル回転してきた右腕だが、この日の姿は本来のものとかけ離れていた。最速159キロを誇る松本裕だが、この日の最速は145キロ止まり。先頭打者に四球を与えると、ベンチは間髪入れずに大山凌へのスイッチを決断した。ためらいのなさは、想定内の出来事だったことの証だ。

「もうこれは『まずい』と思って。ブルペンの時点から、その兆候はあったので。(松本裕を)マウンドに上げた時から、(大山の)準備はしていました」。そう説明したのは倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)。続けて明かしたのは、松本裕の状態だった。

「正直、今だから言えることですけど、ずっと“だましだまし”というか。ギリギリの状態でずっとやってきていたので。これまでベンチには入ってましたけど、実は投げない日もたくさんありました。ギリギリの状態でやっていたのが、きょうはもうギリギリの状態ではなくなったと。そういう判断でした」

 右肩の疲労による張りは1か月以上も前から現れていたという。首脳陣が松本裕の異変を黙って見過ごしていたわけではない。加えて右腕も右肩の異変を隠していたわけでもなかった。

ソフトバンク松本裕樹(左)と倉野信次1軍投手コーチ【写真:荒川祐史】
ソフトバンク松本裕樹(左)と倉野信次1軍投手コーチ【写真:荒川祐史】

「いつもは、いけるかどうかの判断をトレーナーと本人と僕らしていて。きょうは本人も含めて、いけますという状態だったので(9回のマウンドに)いってもらったんですけど。やっぱり投げ始めて……。今まではなんとか力を振り絞れてたのが、きょうは振り絞れなかったという判断です」。互いに本音ベースで話し合い、慎重に慎重を期した上で積み重ねてきた登板だった。

 試合後、取材に応じた松本裕も淡々と自身の状態を明かした。「ちょっと前から、そういう(右肩痛が影響した)投球が続いていたので。自分の中できょうは投げられるかな、いけるかなと思っていました。特別、きょうがどうとかっていう感じではなかったです」。自身の判断を率直に語った。

 右腕がかすかに感情をのぞかせたのは、その後の言葉だった。「苦しい場面で、大事な試合だということをみんなで共有していた中での9回。僕がそこで、(リリーフ陣の)みんなを信頼して投げないという選択肢を取れば、ああいうことにもならなかったのかなという思いもありました。本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした」。自身が望んだ選択だからこそ、恨み言も言い訳も一切なかった。

 松本裕は今後についての見通しも明かした。「まずは最短の10日(での1軍復帰)を目指して。しっかりチームの戦力になれるよう、やれることは全部やる。それができなければ、もう1日でも早く元のパフォーマンスを取り戻せるようにというところですね」。現実を静かに受け入れた。

 右腕の「もしも」を想定し、大山らリリーフ陣の準備を進めていた首脳陣。肩の張りと付き合ってきた“経験則”から、マウンドに上がることを決めた松本裕。両者の根底に共通するのが「勝利のため」という思いだ。シーズンも終盤を迎え、万全の状態で試合に臨んでいる選手はいないからこそ、どの行動も責められるものではない。

 チームは2位・日本ハムに9ゲーム差をつけ、優勝マジックは「15」とカウントダウンに入っている。守護神の離脱は、リーグ優勝に向けて着実に歩を進めてきたホークスにとっての暗雲であることは間違いない。最終盤に訪れた試練を乗り越えられるか、まさにチーム力が試される場面だ。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)