ドラフト1位の入団から今季が14年目…東浜巨が退団
「いってらっしゃい」と「おかえり」――。
リハビリ生活に心が折れそうになっても、ドアの向こうには変わらぬ温もりが待っていた。右肩痛に苦しんだ壮絶な3か月。愛妻の献身と恩師の言葉に支えられ、己の美学を貫き通した東浜巨投手が、14年間を捧げた福岡の地に静かな別れを告げる。
ソフトバンクは6日、東浜が広島へ無償トレードで移籍することを発表した。2012年のドラフト会議では3球団競合の末、ホークスに1位指名を受け通算76勝。2017年には最多勝を獲得するなど、先発ローテーションの柱として常勝軍団に貢献してきた。昨年オフには国内FA権を行使して残留。ホークス一筋で歩んできたプロ野球人生だった。
2026年、チームはパ・リーグ3連覇を成し遂げたが、右腕の1軍登板は「ゼロ」に終わった。5月から3か月にもわたって苦しめられた右肩の痛み。数々の苦難を乗り越えてきた男でさえ「リアルに、一番キツかった」と漏らす日々だった。
“終わり”を覚悟するほどの暗闇の中、背番号16の心を支えていたものは何だったのか。毎朝5時半から台所に立ち、時には本気でぶつかってくれた愛妻の献身的な姿。そして、同じ右肩の激痛に耐えながら、マウンド上で戦ってきた斉藤和巳2軍監督からかけられた“意外”な一言だった。「ブッ刺さりましたね」――。
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この先で分かる3つのこと
一歩間違えれば大ゲンカ…妻が東浜巨に放った言葉とは
苦しむ東浜巨に…斉藤2軍監督の言葉が「ブッ刺さった」
退団発表の裏で…東浜巨が明かした野球への「情熱」とは
献身的だった愛妻の支え…時には怒られもした
「毎日が筑後と家の往復で、僕が暗くなることもありました。自分では気づかないんですけど、すごい雰囲気だったみたいで……。妻の方が苦しかったと思うんですよ。『どうしよう』という葛藤もあっただろうし。だけど、そういうところも上手にコントロールしながら、いつもと変わらずに接してくれた。その都度、しっかりと話もできたので、本当に助かりました」
リハビリ期間、東浜の一日は午前5時30分の起床から始まる。愛妻も必ず同じ時間に目を覚まし、キッチンに立った。「僕は早起きだとあまり食べられないので、家ではスムージーを飲むんです。その間におにぎりを握ってくれるので、筑後に着いてからそれを食べていました」。おにぎりの具材も、飽きが来ないように日替わりで工夫。「どんなのが食べたい?」――。就寝前に交わされる短い問いかけが、明日へのリハビリに備える“夫婦の会話”となっていた。
周囲に対して、常に背中で示してきた背番号16。グラウンドでも家庭でも、東浜の口数は決して多くない。自分の胸の中だけで悩みを抱え込んでいると、時には怒られもした。
「『私もどうしたらいいか、わからん時あるよ』って。一歩間違えれば大ゲンカかもしれないけど、遠慮なく言ってくれることで気づけるので。ありがたいとしか思わないですよね。言っていることも、ものすごく真っ当というか。(自分から言わないのは)僕にとって足りないところだなと、話をした後にいつも思わされます。苦しいところでも踏ん張れたのは、妻のおかげでした」
愛妻が遠慮のない言葉をぶつけたのも、背番号16を孤独にしたくない一心からだった。塞ぎ込み、視野が狭くなっている自分にハッとさせられた。何より東浜の心を救ったのは、どれだけ打ちのめされて帰宅しても、変わらぬ笑顔で家を守っていてくれたことだった。
「朝も早いし、大変だったと思うんです。でも3か月間、5時半の起床からずっと自分の時間に合わせてくれた。僕が帰宅した時は絶対に家にいてくれたし、『いってらっしゃい』と『おかえり』が毎日ある生活だったんです」
人生で一番キツかったはずの3か月間。振り返れば、口から突いて出るのは感謝の言葉ばかりだった。東浜は照れ臭そうに、静かに言葉を紡ぐ。
「いい人に出会ったなと、本当に思います」――。
いつも隣で灯りをともし続けてくれた家族がいたからこそ、右腕は暗闇の中で立ち止まることなく、地道な泥臭い日々から逃げずにいられた。
「休む勇気」をくれた斉藤和巳2軍監督の言葉
36歳の右腕にとって、今季はプロ14年目。「ダメなら終わり」と、誰よりも強い危機感を抱いて挑んだシーズンだった。しかし、その覚悟をもってしても“無茶”さえ許されないほど、右肩の痛みは過酷を極めていた。
「痛みの耐性は強い方だと思っていたし、ずっと我慢して投げてきた部分もあった。今回も、頑張れば投げられる。でも絶対にパフォーマンスは上がらないし、このままいけばいつか本当に投げられなくなって、取り返しがつかなくなるかもしれない。自分の基準は1軍の戦力になること。『このくらい投げられたらいい』という感覚はないし、今のままでは1軍には到達できないし、だから思い切って休もうと」
そして、胸の奥底に溜め込んでいた本音を必死に絞り出した。
「あがこうとはしたんですけどね……」
1軍でチームを勝たせる投球ができないのなら、マウンドに立つ資格はない。逆境に立たされても、己の美学は揺らがなかった。だからこそ抱いた深い葛藤。周囲の支えに対して、感謝の思いが尽きることはない。
リハビリ組に移行する前、最後の登板となった5月16日のオリックス戦(堺)。球速は140キロ前後にとどまり、右肩は一瞬の油断も許されない状態に陥っていた。「イニング間も休んだらもう無理だったから。味方が攻撃している間も、ずっとベンチでプライオボールを投げていました」。腕を振り続けていなければ、肩はすぐに“冷えて”固まってしまう。
騙し騙し腕を振っても、思い描く球筋には程遠い。限界であることを理解しながらも諦めない右腕の姿は、あまりにも壮絶で、痛々しかった。
このままでいいのか――。葛藤を抱えていた中、背中を押してくれたのが斉藤監督だった。
オリックス戦の後、タマスタ筑後でたまたま2人きりになる瞬間があったという。「どうや?」。指揮官からの短い問いかけに、東浜は隠すことなく自分の現状を伝えた。斉藤監督から返ってきたのは、意外な言葉だった。
「『自分はこう思っています』と言ったら、すごく背中を押してくれた。パフォーマンスも含めて、1軍を考えれば『ここで休むことも必要なんじゃないか』と。自分としてもすごく悩んでいる時期だったんですけど、そこでリハビリ組にいくことを決断しました」
怪我をしている選手を励まし、気持ちが切れないように背中を押す指導者は多い。しかし斉藤監督はあえて「休む」という選択肢を東浜に提示した。「僕としてはやりたい、どうしたらできるかを考えていたので。監督からそう言ってもらえたのは、ブッ刺さりましたよね」――。
指揮官自身も現役時代、2度の沢村賞を獲得しながらも晩年は過酷な右肩痛と闘い続けた過去を持つ。同じ激痛を知り、同じ絶望を味わった男同士だからこそ交わすことができた、言葉以上の重みを持つ対話だった。
「この3か月は思い出せないくらいの時期でした」
「この3か月は、もう思い出せないくらい。考えたくもないような時期でした」
あまりにも悲痛な本音。それでも絶望に飲み込まれなかったのは、周囲の温かい支えがあったからこそ。「諦めない理由を、かき集められましたね」と東浜は少しだけ表情を緩めた。これまでも沖縄尚学高、亜大と数々の名将・指導者に恵まれてきた。どれほど心が折れそうになろうとも、自分が歩んできた足跡だけは裏切りたくなかった。
「10年前、15年前の自分が今の姿を見て、どう思うか。高校や大学、その前から野球をやってきて、しゃかりきに投げまくってきた。根本には『自分のため』があるけど、一番はチームが勝つため。勝った時の喜びというのは、何にも代え難いじゃないですか。そうやって今の自分が作られてきたし、過去の自分に敬意を払いたい。『もういいや』となっちゃうのは自分に対して失礼だし、だからこそ、まだまだあがかないといけない」
ホークス一筋、14年。球団、チームメート、そしてファンへの感謝は尽きない。「野球への情熱は、まだ燃えているか」。そう問われた背番号16は、一切の迷いのない眼差しで言い切った。
「もちろん。その気持ちがなくなったら、ユニホームを脱ぐしかないから」――。
心の火は、まだ熱く燃えている。ホークスのために捧げた14年間。東浜巨の背中は、誇りに満ちていた。
(竹村岳 / Gaku Takemura)