明かした現役続行の意思「恩返しがしたい」
思い出を振り返っていくたびに、目は少しずつ赤くなっていく。涙がこぼれないよう必死に堪え、視線を上げて言い切った。「後悔はありません」。ホークスで過ごしたのが2年間とは思えないほど、濃密な時間だった。川口冬弥投手は、人生の岐路に立たされてもなぜ諦めないのか。大好きな先輩である板東湧梧投手、そして中村晃内野手からかけられた言葉。「川口の物語には勝てないわ」――。
球団は26日、川口に対して来季の育成契約を結ばない旨を通達した。2年目の今シーズンは4月に「右肘内側側副靭帯再建術および関節クリーニング術」を受け、実戦登板はなし。現在は制限をかけながら、投球の強度を上げているところだった。
球団から通告を受けた26日は、川口にとって27歳の誕生日だった。今もリハビリの途中で、再びマウンドに立つまで半年以上はかかる計算だ。それでも右腕は「現役を続けたい」という意思を明言した。暗闇の“ど真ん中”にいるはずなのに、野球への情熱は熱く燃えたまま。川口の目が潤んでいたのは、将来に対する不安からではない。支えてくれた人たちへの感謝が、胸に溢れていたからだ。
「これまで試合で投げることがそもそもなかった人生でした。やっと野球ができるようになったし、もっと純粋に楽しみたいんです。あとはいろんなご縁があって、みずほPayPayドームで投げることもできて、見てくれる方が増えたので。応援してくれるすべての方に、野球をすることで恩返しがしたいからです」
東海大菅生高では1度も背番号をもらえなかった。城西国際大でようやく球速は150キロに到達。社会人のクラブチーム・ハナマウイ、四国IL・徳島を経て2024年育成ドラフト6位でプロへの扉をこじ開けた。ルーキーイヤーは26歳シーズン。自分の“先”が長くないことは、はじめからわかっていた。
腹を括って、全力で駆け抜けたプロの世界。1人で靴下を履くことすらできなかった壮絶な腰痛との戦い、そして敬愛する板東と中村晃が認めた“川口だけの物語”――。2年間で数多くの挫折を味わった右腕が、それでも泥臭く前を向き、茨の道を選ぶ理由に迫った。
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この先で分かる3つのこと
清掃員に肩を借りて着替え…川口冬弥を襲った壮絶な疲労骨折
戦力外通告直後に電話…引退する板東湧梧が授けたエールとは
「物語には勝てない」中村晃と板東湧梧が口を揃えた驚きの理由
限界を迎えた9月11日…自分1人で着替えもできなかった
「もう1度、1軍の舞台で投げたいというのはもちろん考えてやってきました。あとは、常に僕は『今日が人生最後の登板』だと。シーズンを通して戦う方々からすると『それじゃ1年間、持たないよ』と言われるんですけど、自分にとっては本当に1試合1試合にすべてをかけていました。そうじゃないと、後悔すると思ったので」
ハナマウイ時代の給料は手取りで20万円弱。生活費を払い、残ったお金はジム代に充てた。ギリギリまで生活を切り詰めながら、自己投資を惜しまなかった。そんな男にとって、プロの世界はまさに夢舞台。後悔しないために、一瞬一瞬を全力で生きてきた。
昨年は春季キャンプからアピールを続け、6月に支配下登録を勝ち取った。しかし、全力で戦う体から“悲鳴”が上がっているのも事実だった。「支配下になった最初の方はアドレナリンもあって150キロが出ていた。でも徐々に腕が振れなくなってきて……。それでも自分から『2軍に行きます』とは言えないじゃないですか」。最後の1軍登板となった7月17日のロッテ戦(北九州)では、マウンド上で腰をかがめて、ロジンを手に取ることさえできなかった。
そして、ついに限界を迎える。9月11日に行われたウエスタン・リーグの中日戦(ナゴヤ球場)、9回に登板した川口は1回を投げ無失点に抑えた。3連戦の3戦目。午後2時28分に試合は終わり、ナインは帰福するために次々と球場を後にしていく。しかし、右腕はロッカーから一向に出てこない。今だからこそ明かせる真相――。腰に疲労骨折が2箇所も生じていた。
「普通だったら投げられないくらいだったのかもしれないですけど、1軍に戻るためにはアピールしないといけなかったので」
振り返る口調に後悔の色はない。しかし、試合後の動きはまさに壮絶だった。
「スパイクを脱ぐ時はまだ選手がいたので、手伝ってもらったんですけど。ユニホームからスーツに着替える時はもう、みんな帰っていたので。球場の清掃をする女性の方に肩を借りて、3人がかりで靴下を履かせてもらいました。着替える時がとにかくキツかったですね」
外で待っていたのは、高卒1年目だった石見颯真内野手と2年目の藤田悠太郎捕手。帰るための身支度にそれだけの時間を要した。「バサっ」。タクシーに乗る前、荷物を地面に落としてしまう。うだるような暑さの9月だったが、川口の表情は真っ青だった。「拾ってくれませんか……」。なんとかタクシーに乗り込んだものの、車が揺れるだけで腰は悲鳴をあげていた。
構想外通告を受けて板東湧梧にかけた電話
10月からはリハビリ組となり、今年の4月には右肘にメスを入れた。「1軍に戻りたい」。熱い気持ちを抱きながらも、理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。支えとなったのは、どんな時も見守ってくれていたファンの存在だ。
「自分が野球をしている姿を見て『川口選手が頑張っているから、私も力をもらっています』と言ってもらったことがあるんです。リハビリ組になってから野球ができなくて、“プロ野球選手じゃない自分”に落ち込んだこともありました。でも『元気をもらえます』と声をかけてもらって、必死にもがいている姿にも価値はあるのかもしれないなと思って、すごく励まされました」
音楽が大好きな右腕。初めてライブに行ったのは高校3年生で、場所は横浜アリーナだった。ステージ上で輝くミュージシャンを見て「生きる力」をもらったように、自分の存在が誰かの希望になっている。頑張る理由は、それだけで十分だった。ファンからもらった手紙は、1通も捨てずに手元に残してある。「大きな紙袋、3つくらいになったんですよ」。照れ笑いで明かすそのすべてが、かけがえのない“宝物”だ。
壮絶だった腰の痛みも、今は癒えた。右肘のリハビリに集中してきたが、今年は1度もマウンドに立てなかった。戦力構想外の通告を受けた10月26日、タマスタ筑後からみずほPayPayドームの球団事務所に向かう前に板東へ電話をかけた。お世話になった先輩は、今季限りで現役引退を決断していた。「自分は続けます」と伝えると、優しく背中を押された。
「やるか、やらないか。自分はそこでは迷っていないので。『やると決めているだけ、(今後についても)考えやすいね。応援するし、俺の楽しみでもあるから頑張ってくれ』と言ってもらいました。あとは『野球で悩めるのは幸せなことだから』と。板東さんが真剣にやってきた人だからこそ、僕も『ここまで悩めるのはありがたいし、幸せやねんな』と思いました」
中村晃と板東湧梧から「お前の物語には勝てない」
いつマウンドに戻ることができるのか。川口自身にもわかっていない。現役を「続ける」というのは、最も苦しい道を選ぶのと同じだ。暗闇の中にいるはずなのに、川口は「僕らしいと思うんです」と前を向く。板東と中村晃、心から尊敬する2人の先輩から授かった“同じ言葉”が右腕の勇気になる。
「晃さんはあれだけの成績を残して、本を出されたじゃないですか。それでも『どうやっても川口の物語には勝てんわ』と言ってくれました。『僕なんて……』と返したんですけど、晃さんは『だからこそ、ここからがまた面白い物語になるんじゃない? 俺の本より絶対面白いよ』と。板東さんも甲子園に出たりしてプロに入ったのに『ずるいわ、お前が一番物語あるやん』と言われて。別のタイミングだったんですけど、本当に2人から一言一句、同じことを言われたんです。それが自分らしいなと思うし、泥臭くてもあがこうと思います」
今後については、何も決まっていない。リハビリ組という立場では所属先を決めることも難しく、野球浪人すら視野に入れている。それでも、右腕は笑う。「トレーニングとリハビリさえできれば、あとはアルバイトでもしますよ」。自分から諦めることだけは、絶対にしない。それが野球選手として抱く、川口冬弥の「あるべき形」だ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)