右肘手術から半年「やっとキャッチボールを」
6歳年下の盟友の背中を追いかける日々を経て、少しずつ表情に充実感が戻ってきた。「やっとキャッチボールができるようになってきましたね」。近況を明かしたのは、川口冬弥投手だ。右肘手術を受けてから半年が過ぎようとしている中で、心の支えとなっていたのが前田悠伍投手の存在だった。右腕が人知れず、足を運んでいた場所――。
2024年育成ドラフト6位でプロ入りした26歳。昨年6月に支配下登録を掴み、1軍でも5試合に登板したが、全力で駆け抜けてきた身体は限界を迎えていた。10月に戦力構想外となり、再び育成契約を締結。今年4月には「右肘内側側副靭帯再建術および関節クリーニング術」を受けた。復帰まで1年以上を要する長い道のり。マウンドに返り咲くために、地道な日々を送っている。
1軍はポストシーズンを控えているが、2軍は公式戦の全日程が終了。川口の2026年は、1度もマウンドに立つことなく終えようとしている。「試合を見たくなくなる」という現実から目を逸らさず、向かった本拠地のスタンド。右腕にギプスをはめた男が見つめた光景、そして寮の自室で響いたピアノの音色が、立ち止まりかけた自らの足を再び前へ進ませた。
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この先で分かる3つのこと
ギプスで客席へ…川口冬弥が前田悠伍の登板を見続けた訳
勝手に自室で演奏?聞こえてきたピアノの音色の正体とは
電子ピアノを購入…川口冬弥が語るリハビリへの意外な効果
前田悠伍の活躍を「純粋に喜んでいました」
「寮にいる時、普通に悠伍とピッチングの話をするじゃないですか。『こういうことに取り組んでいる』というのを聞いた後に、実際にマウンドで投げている姿を見たら、自分も投げている感覚になるんですよね。『ここを意識してやっているんだな』と。自分なりにも経験させてもらっているし、悠伍からは刺激をもらっています」
前田悠の今季初登板は、5月3日の楽天戦(みずほPayPayドーム)だった。リハビリ組が休日の日曜日だったため、川口は本拠地を訪れ、右翼ポール近くの席から左腕のピッチングを見守った。自分の右腕には、まだギプスが装着されたまま。己の厳しい現在地と、年下の盟友が立つ晴れ舞台のマウンド。そのギャップを受け止めながらも、湧き上がってきたのは純粋な気持ちだった。
「他の人が活躍したら、嫉妬する気持ちもあるじゃないですか。だけど、悠伍の活躍は純粋に喜べたんです。思うことは確かにあるんですけど、心からそう感じられるのはいいことなのかなと。登板の後も、寮で『その日の振り返り』みたいな話は一緒にしていました」
5月は4週連続で日曜日に登板した前田悠。そのうち3試合がみずほPayPayドームでの試合だった。「チケットも悠伍が用意してくれますね。毎回『取っといたで』って、写真付きでLINEが送られてきます」と川口は笑顔で語る。リハビリという淡々とした日々の中、21歳の活躍から大きな刺激をもらっていた。
右肘のリハビリも兼ねて購入した電子ピアノ
必ず前田悠の登板を見る。そんな習慣が生まれたきっかけは、3月にあった。
「悠伍が3月の最初に体調を崩して、その後に筑後で復帰登板していたじゃないですか。自分もリハビリ組で、昼から時間があったのでメインの球場までふらっと見にいっていたんです。長期のリハビリをしている人って、試合を見たくなくなると言うじゃないですか。実際、お医者さんからもそう言われたんですけど、自分としては『目を逸らしてはいけないな』と思ったんです。特に悠伍は仲がいいし、やっていることも間近で見ていたから。1軍初登板が決まった時も『上がるわ』と報告してもらいました」
復帰まで1年以上という長い道のり。ユニホームを着てリハビリに励んでいれば気分も晴れたが、「やっぱり1人でいると考えることが増えちゃいますよね……」。少しでも気を紛らわすために、川口が5月に購入したのが電子ピアノだった。「トミー・ジョンのリハビリでは、指の機能が大切なんです。固まらないようにしたくて」。教室にも通い始め、登場曲に使用しているNissy(西島隆弘)の楽曲を練習することが、ささやかな日課となっていた。
そんなある日、寮内の自室に戻ろうとすると部屋の中から“音色”が聞こえてきた。扉を開けると、「勝手に」ピアノを弾いていたのが前田悠だった。「あいつらしいですよね(笑)。僕が弾ける曲を教えてみました。悠伍が遠征から帰ってきて、僕の部屋で弾くみたいなのが何回かありましたね。間隔が空いても、ちゃんとメロディとか覚えているんですよ。すごいですよね」。人懐っこい2人の距離感も微笑ましい。
キャッチボールの距離は、30メートルにまで伸びるようになった。着実に復帰へと歩んでいく日々。「見ていてもわからないくらいの地味な進歩を、自分の中では“喜び”として感じないと。気持ちも折れちゃうので。ちょっとずつ進めていけたらいいのかなと思います」。後輩左腕の存在を力に変えながら、川口冬弥は絶対に諦めない。
(竹村岳 / Gaku Takemura)