入団時から中村晃を知る存在…鳥越コーチの単独インタ
9月27日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)で、中村晃内野手の引退セレモニーが行われます。ホークス一筋19年、通算1521安打を放ったヒットマンはどんな姿を見せてくれるでしょうか。鷹フルは、西武の鳥越裕介ヘッドコーチを単独インタビュー。ユニホームを脱ぐ愛弟子に、恩師が心からのエールを送りました。7月3日に発表された現役引退。その“2日前”に言葉を交わした、尊い関係性に迫りました。
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帝京高からドラフト3位指名を受けて、ホークスに入団した中村晃。ルーキーイヤーの2008年、2軍内野守備走塁コーチとして接したのが、指導者として2年目のシーズンを迎えた鳥越コーチだった。「18歳の頃から知っているので。その世代の選手たちが辞めていくのは非常に寂しいです。だけど、自分自身で(進退を)決められたのは、素晴らしい野球人生だったんじゃないかと思います」。愛弟子の決断に目を細めながら、思いを語った。
現役引退が発表されたのは、7月3日。その直前の7月1日に、1軍はみずほPayPayドームでの西武戦に臨んでいた。ファームで調整中だった背番号7は鳥越コーチに「決断」を報告をするため、人知れず本拠地を訪れていた。プロの世界で戦い続けて19年。中村晃のきっぱりとした口調からは、固い決意だけが伝わってきた。鳥越コーチの問いは単純明快だった。「決めたのか?」――。
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この先で分かる3つのこと
引退発表の“直前”…鳥越コーチへ明かした報告と2人の時間
ベンチで大号泣…中村晃の糧となったプロ3年目の痛恨の失敗
「顔つきが違った」恩師・鳥越コーチが語る18歳の中村晃の素顔
「最初にそう聞きました。そうしたら『決めました』というので。これはもう相談ではなくて、報告なんだと。自分の中でもいろいろと(思うことは)ありましたね。そういう話があった時点で、大体なんとなく予感めいたものがありました。改めて『ああ、やっぱりか』という感じでした」
現役引退を表明する“直前”に、顔を合わせて過ごした同じ時間。「日程的にも、たまたまだったんじゃないですか」と笑い飛ばしたが、そこには確実に、2人だけの尊い時間が流れていた。
「同じチームで10年、別のチームになってからも10年ほどですか。ユニホームが変わっても敵として戦いながら、個人としても応援していますからね。全力で抑えにいくんですけど、『打ち返してこいや』という思いもありました。彼も彼で、常に全力でこちらを倒しにきていたので。言葉で表現するのは難しいんですけど、人としてのつながりをすごく感じる選手の1人ですよ」
プロ3年目…2軍の優勝をかけた一戦で痛恨のバントミス
鮮明に覚えているという瞬間は、中村晃が3年目だった2010年9月26日。2軍監督として指揮を執っていた鳥越コーチは、ウエスタン・リーグの優勝をかけて、みずほPayPayドームで中日戦に臨んでいた。「勝てば優勝の可能性があって、負ければ3位。その日は9イニングで延長もなかったんですよ」。1点を追いかける9回無死一塁という状況で中村晃にバントのサインを出したが、結果は失敗。この瞬間が記憶に刻まれている理由が、3つある。1つ目は試合後、悔しさのあまりベンチから動けなかった中村晃の姿だ。
「あの試合は勝たないと優勝がない。仮に1点を取って同点で終わっても、優勝はなかったですから。勝つにはランナーが2人必要だった。普通ならヒッティングですよ。でも『このシチュエーションは絶対に晃の将来に役に立つ』という僕の判断で、バントのサインを出しました。試合後のミーティングでも、ずっと泣いていましたね。こっちも、もらい泣きしそうなくらいでした。『1軍ではこれ以上のプレッシャーがかかるからな。そこで成功できるように、練習しておけよ』という話はしましたね」
2つ目の理由は、ベテラン勢の起用にある。試合前、村松有人(現野手チーフコーチ)が監督室を訪れた。「今年で引退します」。当時38歳、通算1380安打を放った男が決断を伝えにきた。「『じゃあスタメンでいくか』と聞いたら『いいです。こういう試合はぜひ若手のために』と言うんです。村松をいいところで使いたいと思っていたら、もう最後しかなかったんですよね」。
9回先頭、鳥越コーチが腰を上げて「代打・村松」を告げた。その起用に応えるように三遊間を破るヒットで出塁した。「代打を出したのもベテランの清水将海(現3軍バッテリーコーチ)で、その日2安打していたんです。『将海、すまん』と。村松が辞めることも何人か知っていて、ヒットで盛り上がった状況で次のバッターが晃でした」。若手主体の2軍とはいえ、ベテラン勢が作った見せ場。その思いも、中村晃にはしっかりと背負ってほしかった。
3つ目の理由は、バントのサインを送ることで試合前の姿勢を問いかけたかったから。日頃から重圧がかかる打席をイメージして、バントの練習をしているのか――。“無言のメッセージ”こそ、鳥越コーチの真意だった。ベンチに座り込み、ただ涙する20歳の中村晃を見て抱いた思いは「この子なら、きっと応えてくれる」――。その直感は、翌年のシーズンですぐに現実のものとなる。
2011年5月7日の日本ハム戦(札幌ドーム)。プロ2打席目を迎えた中村晃は、1点を追う8回無死二塁で投犠打を決めた。打球をきっちり転がすと、喜びのあまり「よっしゃー!」と叫びながら走った。一塁ベースコーチだった鳥越コーチにとっても、忘れられない瞬間だ。「ウルっとくるくらいのものがありましたね」。今ではチームに欠かせない存在となったベテランも、数えきれない悔しさを乗り越えたからこそ、成功体験がある。
入団当初の記憶「顔つきがよかったんですよ」
入団当初の印象もよく覚えている。プロ19年間で通算1521安打を積み重ねたヒットメーカーだが、第一印象は「バッティングは面白いけど、体は大きくない。足も速くない。守備も大して上手くなかったですね」。そう笑いながらも、鳥越コーチは続けた。「顔つき、目つきがよかったんですよ。それは他の選手とは明らかに違いました。そこにアプローチをしたら、どんどんよくなりましたね」。グラウンド上とは、自分の生活をかけた“勝負”の領域。その心得を、中村晃は18歳の頃からしっかりと持っていた。
鳥越コーチの現役生活は13年。すでに指導者としてのキャリアの方が長い。まだまだ続く野球人生。愛弟子へ、偽りのない言葉でエールを送った。
「1500本もヒットを打つ選手になるとは思わなかったですけどね。彼の努力の賜物です。これからが楽しみですよ。やってきたこと、見てきたこと、感じてきたこと。今度は後輩のために、彼のキャリアは確実に役に立ちます。これからチャレンジもするでしょうし、新しい出会いがあると思いますけど、人に教えていただくことの方が多いので。彼は絶対に大丈夫だと思うし、いろんな人のために“中村晃”を活かしてほしいなと思いますね」
19年間のプロ野球人生。恩師が「非常によく頑張ったと思います」と目尻を下げれば、中村晃も「鳥越コーチからそう言ってもらえるのが一番嬉しいです」と噛み締めていた。自分自身で、ユニホームを脱ぐことを決断できる。誰よりも真っすぐ野球に向き合ってきた男は、偉大なプレーヤーとなった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)