開幕6番手から3連覇の立役者に
2026年シーズン、ホークスは球団の福岡移転後初となる3年連続のリーグ優勝を飾りました。鷹フルでは主力選手はもちろん、若手やスタッフにもスポットライトを当てながら今シーズンを振り返っていきます。主戦が相次いで離脱するなか、開幕から先発ローテを守ってきた大津亮介投手が明かしたのは、シーズン開幕前に抱えていた“大きな不安”。「もうやばかったですね。正直、『投げれるのかな』って……」。右腕が打ち明けたのは、1勝を挙げることすら想像もできないほどのシビアな現実でした――。
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今季、マウンド上で見せ続けた佇まいは、まさにエースの姿そのものだった。チームが重苦しい連敗の渦中にあっても、マウンドへ向かう背中に気負いはなかった。「抑えたら僕がプラスじゃん」と笑い、シーズン序盤の連敗ストップに幾度も貢献した右腕。今季はここまで20試合に登板して11勝4敗、防御率2.36の成績をマークするなど、先発陣の柱として1年間フル回転した。
「序盤に連敗ストップを連続でやれたのは自信になりましたし、2桁三振を奪った(4月16日の)楽天戦で『今年はやれる』という確信が生まれました」
プレッシャーすら成長の糧に変えてみせた右腕。いつしか、誰もが信頼を寄せる存在へと大きな成長曲線を描いていった。だが、その躍進の裏には“壮絶な戦い”が存在していた。病院で告げられた「右肘の疲労骨折」、沖縄で送った通院の日々。もし、あの時の判断が間違っていれば――。大津は今季、マウンドにすら立っていなかったかもしれない。右腕が明かした衝撃の独白とは。
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この先で分かる3つのこと
診断直後に襲った右肘の「絶望的な異変」とは
調整遅れの大津に首脳陣が下した「意外な判断」
倉野コーチが明かす「開幕6番手」の本当の意味
自覚症状がなかった右肘の“疲労骨折”
「もうやばかったですね。正直、『投げられるのかな』って。投げられたとしても、途中で絶対にヤバいだろうなっていうのはあって……。極力、空いた時間で病院に行って治療しまくっていました」
苦悩の始まりは、昨オフのメディカルチェックだった。日本シリーズまで戦い抜き、肘の疲労回復に向けて受けた検査。そこで発覚したのは、右肘の「疲労骨折」という衝撃の診断だった。「あと1、2試合投げていたら、パキッて折れていたレベルだったんです。ギリギリでした」。勝ち星を挙げた日本シリーズ4戦目でも自覚症状はなかったが、事実を知った途端に右肘が悲鳴を上げた。
「『俺の肘ってこんな状態なんだ』って分かってから症状が出て。『やばい、これ投げられんの?』ってくらい痛かったです。日本シリーズが終わってから、年明けくらいまでの2か月近くは、本当にノースローでした」
首脳陣が下した判断…「宮崎で調整しろ」
“調整遅れ”は、右腕の心に焦りを生んだ。自主トレは沖縄で行ったが、そこでも満足な投げ込みはできなかった。「自主トレ期間中も早めに投げようという予定だったんですけど、結局最後の最後までブルペンに入れなくて……。全部治療に専念して、沖縄でも病院に通っていました」。
開幕ローテーション争いが本格化する春季キャンプ。その頃には痛み自体は引いていたものの、投げ込み不足による調整の遅れを考えれば、リハビリ組からのスタートが妥当な判断だった。
しかし、そんな状態の大津に首脳陣が下した判断は「宮崎に連れて行く。宮崎で調整しろ」というものだった。「メディカルと現場で話をして、最終的にそういう判断をしました。ある程度、第2、第3クールで投げられるという目処が立っていたので。それだったら近くで見たいなと。しっかりプログラムがありましたし」。倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)はそう振り返る。大津は倉野コーチやトレーナーと密に話し合いながら、投球練習を行うスケジュールを立てていった。
「自分で『この日は投げて、この日は投げない』という日程を決められたのは、すごく大きかったです。段階を踏んで調整していけたので」。自らの身体と対話し、慎重にステップを踏んでいった右腕。首脳陣から与えられた裁量と期待に責任感を抱き、なんとか開幕までに全力で腕を振れる状態へと仕上げていった。
「いつも“6番目の男”って言われますけど、本当は6番目じゃなかった。コンディションの問題で6番目にならざるを得なかっただけなので。僕は元々、10勝くらいの期待は最初からしていました」。倉野コーチは大津が開幕ローテ入りできたことに、何よりも安堵したと明かす。
歓喜の輪で輝く背番号19
ギリギリの状態だった肘と付き合いながら過ごしたオフの期間があったからこそ、プレッシャーがかかる連敗中のマウンドすらも、前向きに楽しむことができた。「もう隠すことではないですし、僕も本当のことを知ってもらいたい思いはあるので。ぶっちゃけ、どれだけ苦労したかというのはあるので……」。そう語る表情には、逆境を自ら乗り越えた者だけが抱く、揺るぎないプライドが宿っていた。
11勝という数字は、自らの恐怖に打ち勝ち、掴み取った勲章だ。開幕ローテの6番手から始まった2026年。チームを3年連続のリーグ優勝へと導いた右腕は、危機を乗り越え、精神的にも頼もしい“大黒柱”へと進化を遂げた。歓喜に沸く輪の中心には、最高の笑顔を弾けさせる大津亮介がいる。人知れず苦悩の日々を乗り越え、躍動した右腕の1年は誰よりも輝いていた。
(飯田航平 / Kohei Iida)