2月22日の侍ジャパン戦…“今季最多”の6失点でKO
球団の福岡移転後、初のパ・リーグ3連覇を成し遂げたホークス。鷹フルではさまざまな角度から今シーズンを振り返っていきます。3年目にして大きな飛躍を果たした前田悠伍投手が語ったのは、活躍の兆しすら見えなかった2月の戦い。上茶谷大河投手の部屋に通いつめ、互いに痛み止めを飲んでいた日々に「2人で終わっていましたね」――。“今季最多”の失点を喫した侍ジャパンとの壮行試合。崖っぷちに立たされた左腕が、自らの意思で野球ノートに残した言葉がありました。
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類い稀なる才能が“開花”する前。今年2月の宮崎春季キャンプで、左腕は毎夜のように上茶谷の部屋を訪れていた。お互いに関西出身。口数も多く会話は途切れないものの、そのテンションは決して明るくはなかった。「キツかったですから」――。21歳が漏らす言葉を「そうかそうか」と頷きながら聞く。そこには痛みを共有する2人だけの時間が流れていた。
開幕から無傷の12連勝――。野球に対する妥協を許さず、誰よりも愚直に努力してきた左腕が、3年目でついに覚醒した。「今年だけの話なので。油断しないようにしないと、1年活躍しただけで終わってしまう。これからはもちろん、オフの過ごし方も大事になりますね」。パ・リーグ3連覇の悲願を成し遂げられたのは、前田悠の台頭があったから。それでも本人は満足することなく、ただ高みだけを目指し続ける。
“今季最多”の失点を喫したのは、2月22日。侍ジャパンとの壮行試合に先発した左腕は、1回2/3を投げて6失点で、予定されていたイニングすら投げきれなかった。その日の夜、野球ノートに残した言葉。「やらないと、終わってしまう」。自らの意思で刻んだ言葉が、当時の生々しい胸中を物語っていた。長袖のアンダーシャツに隠し続けてきた“秘密”。リハビリ組への移管を恐れ、暗闇の中で上茶谷と手を取り続けた。挫折から救ってくれた、大好きな先輩との絆――。
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この先で分かる3つのこと
テーピングを隠し…前田悠伍が2月に抱えた悲壮な「覚悟」
「チャーさんじゃないと」前田悠伍が上茶谷に救われた理由
息が切れ「終わった」…前田悠伍が感情を動かされた一戦
今だから打ち明けられる左肘痛「毎回痛み止めを」
「まったく通用しなかった。ここからもっとやらないと、すぐに終わってしまう」
侍ジャパン戦の先頭打者として打席に入ったのは、チームメートの近藤健介外野手だった。「初球から全然意図していないボールでしたし、それ以外の実戦でも全部そうでした。(技術的にも)彷徨っていました」。肘痛に襲われ、答えが見つからない壮絶な1か月。今振り返っても、不調の要因は「わからないんですよね。『これをやりたい』というのはあったんですけど、それもできなくて……。思い出せないというか、結構キツかったので」。エリート街道を歩んできた前田悠にとって、人生最大と言える挫折だった。
昨年9月に左肘のクリーニング手術を受けた。競技復帰まで「3か月から4か月」とされ、今年の1月は沖縄・宮古島で千賀滉大投手と自主トレを行った。「誰よりも練習した自信はあります」と投げまくった日々。しかし2月のキャンプが始まると、左肘を痛みが襲った。「寒さもあったのかなと思います」。それは左腕にとって、今だからこそ打ち明けられる不安だった。
「全力で投げたいんですけど、肘的にも投げられない。しっかりアピールできる状態かと言われれば、不安はありました。フォームもできあがっていない中で(侍ジャパンのような)レベルの高い人たちとやれば、ああなるのは当然でしたし。(開幕ローテ争いも)途中の段階では、『もう相当な巻き返しがないと無理だな』とも思っていたので。まずは怪我をしないことが念頭にありました。だから今年の成績は、自分でもまったく想像できなかったです」
リハビリ組にいけば気持ちが切れる。競争から抜け出すのではなく、いかに脱落しないかを心がけるので精一杯だった。そこで毎夜のように訪れていたのが、上茶谷の部屋。肘の治療器具を扱いながら「2人で、終わっていましたね」――。痛み止めを飲んで腕を振った。長袖のアンダーシャツを着続けたのは、テーピングでぐるぐる巻きとなった利き腕をひた隠すためだった。「何かあればすぐにアイシング。あとはもうアドレナリンでしたね」。
上茶谷大河が「野球と向き合っていることを知っている」
苦しい1か月をともにした上茶谷の存在。不調を乗り越え、2人の絆はより強固なものとなった。「わかった、これどうですか!」。何かを閃いた前田悠がいきなり立ち上がり、シャドーピッチングする。「それをチャーさんが動画に撮って『ええんちゃう。今日のキャッチボールよりはいいと思うで』みたいな」。お互いに痛み止めを飲み、“秘密”を共有する者同士。21歳が口にする感謝の思いは尽きない。
上茶谷は春先、前田悠に対して厳しいメッセージを送っていた。「ついていく先輩を間違えるな。俺についてくるな」。それも、左腕が秘める無限の可能性を知っていたからこそ。先輩の“愛”を、背番号41はどのように受け止めたのか。明かした本音は「チャーさんじゃないとダメなんです」――。
「他の人なら『考え過ぎやろ』と流すところを、チャーさんは真剣に考えてくれるんです。僕が話したら『もう何よ』とか言いながら聞いてくれますし、他の人には言えないことも言える。最初はああいう面白い人柄もあって簡単に話に行けたんですけど、知っていくうちに『めっちゃ野球に対して真面目だな』と。だから自然に『チャーさんじゃないと』という気持ちになっていたんだと思います」
前田悠が左肘を手術して入院していた時も、上茶谷だけはお見舞いに来てくれた。ベッドの上で時間を過ごす21歳のために、本までプレゼントしてくれた。「チャーさんにそんな気はないかもしれないですけどね」と笑って語るが、先輩からの愛情は痛いほどに伝わっている。
5月24日の日本ハム戦で見せた自らの“感情”
上茶谷は開幕1軍入りを果たし、前田悠は4月末から1軍に昇格。破竹の勢いは続いた。数々のハイライトがあった中で「感情が動いた」と振り返るのが、5月24日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム)だ。「OH SADAHARU LEGACY DAY」として行われ、背番号89を背負った一戦。先発した左腕は3回0/3を投げて4失点で降板した。
5月3日の今季初登板から中6日でローテーションを守り、この一戦が4週目だった。試合前から異変が現れていた。「ブルペンからもう、めっちゃ息が切れていて。しんどかったです。でも投げないといけないじゃないですか。初回の1球目も7回、8回を投げ終えたくらいの疲れだったんですよ」。発展途上の21歳。絶対に勝つという気持ちは胸に抱いていたが、若き身体は“正直”だった。
「初めて中6日で回っていたので。初回、先頭打者の水野さんを抑えたらなんとかいけるかなとは思っていたんですけど、普通に打たれて『終わった』という感じでした。簡単に追い込んだんですけど、高くなったフォークを打たれた。その後も抑えられなくて、『なんでこんな打たれんねん』と。その気持ちは忘れたらあかんなと思いましたね」
自らの役割を果たせないことが、こんなにも悔しいのだと胸に刻み込んだ一戦。苛立ちを抱きつつ、思い浮かんだのは「やっぱり、勝たないといけないですね」。そこから積み上げた続けた白星。不安だらけだった春先には想像すらできなかった数字を並べてみせた。大好きな先輩と掴み取ったリーグ優勝は、格別の味がした。
「今季の1勝目を挙げたピンクフルデーの時(5月10日のロッテ戦)も『一緒にリレーができてよかった』という話もしましたし、キャンプからずっと一緒にいたので。今は先発同士ですけど『チャーさんとやりたい』という思いは一番あったので。ライバルではあるんですけど、これからもローテーションを回っていきたいですね。そういう意味でも、一緒に優勝に貢献ができて本当に幸せです」
高校時代には3度の全国制覇を成し遂げた。エリート街道から挫折を乗り越え、掴み取った初めてのリーグ優勝だ。2月には「野球……野球って楽しかったよね?」と苦悩を吐露した左腕。半年間、戦い続けた前田悠伍が口にした言葉は――。「やりたいことが明確ですし、上手くいかなくても上手くいくために練習する。その繰り返しができているので、毎日がめちゃくちゃ充実しています。最高に楽しいですね、野球は」。
(竹村岳 / Gaku Takemura)