後から知った”母の涙” 庄子雄大が思い出の地で躍動…立ちはだかる壁も「明るくやりたい」

  • 記者:飯田航平
    2026.06.19
  • 1軍
横浜スタジアムでヒーローインタビューを受けた庄子雄大【写真:井上学】
横浜スタジアムでヒーローインタビューを受けた庄子雄大【写真:井上学】

地元への凱旋試合でお立ち台

 これ以上ない、最高の親孝行になった。これまでの野球人生を支え続けてくれた人たちにとっても、言葉にならないほどの喜びに満ちた瞬間だったに違いない。6日のDeNA戦(横浜)で、5回に勝ち越しの2点適時打を放ち、プロ入り後初めて地元のファンの前でお立ち台に上がったのが庄子雄大内野手だ。インタビュー中、その視線はスタンドへと向けられた。

 地元・横浜での凱旋試合。少年時代から庄子の背中を見守り、支え続けてきた家族。ヒーローインタビューの最中、テレビ中継の画面にふと映し出されたのは、母と姉の姿だった。多くの観客の中から家族を見つけて手を振った23歳。「僕にとっても記憶に残る日になりました」。その試合後、姉から聞かされて初めて知った真実。それは母親の涙だったーー。

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この先で分かる3つのこと

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庄子が、前を向くために選んだ「言葉」とは?

 庄子自身は“その瞬間”を、グラウンド上からは気づいていなかったと明かす。「後で知りましたね。お姉ちゃんから『お母さん泣いてたよ』って教えてくれました」。 そう語る目元は優しく緩み、そこには家族の絆に包まれた、いつもの庄子の笑顔があった。

「家族がいつも、テレビとか中継を見届けてくれていることは知っています。そこで活躍したら、LINEとか連絡をくれるので。もちろんそれはそれで嬉しいんですけど、やっぱり現地でというか。スタンドにいる時にああいう活躍をして、ヒーローインタビューもできて。親孝行というか恩返しというか。いいものを見せられたっていうのは、僕にとっても記憶に残る日になりましたし、家族にとってもそういう日になったんじゃないかなと思いますね」

 庄子にとって、横浜スタジアムは特別な場所だ。実家からは車で20分、電車では30分の距離にある。幼い頃はプロ野球の観戦に訪れ、横浜高時代の1年夏はスタンドで声を枯らして先輩たちを応援した経験もある。高校、大学を含め、出場した試合は「通算で30試合はやっているんじゃないですかね」というほど。様々な視点から野球を見てきた横浜スタジアムは、庄子の野球人生の土台を作ったとも言える場所だ。

 大学時代も家族は「ほぼ毎試合」応援に駆けつけてくれていた。だからこそ、あの日スタンドで流された母の涙には、家族だけが知る“思い出”が詰まっていた。

直面するプロの壁…「明るくやりたい」

 しかし、そんな温かい凱旋の記憶の一方で、プロの世界の厳しさも試合数を重ねるごとに感じ始めている。交流戦では16試合に出場し、スタメンの機会も多くあった。だが、相手のマークも厳しくなり、庄子の表情にはこれまでにはない険しさがにじむようになった。

「試合に出続けることの難しさというか、僕の弱いところ。苦手なコースや球種で攻められて、なかなか思うような結果が出ない日がここ最近は続いている。自分はいつも通りやってるつもりだけど、思うように結果が出ないというか、そういうもどかしさはありますね」

 壁にぶつかりながらも、こう語る庄子の言葉には決してネガティブな響きはない。「レギュラーになる選手は、良い時と悪い時の差が小さい。そういうことを乗り越えられる選手が試合に出続けられると思うんで。本当に毎日勉強ですし、成長できる環境なので。そこは最大限に活かしたいです」。

 もどかしさを抱えながらも、「“明るくやりたい”です」。最後に見せた前向きな笑顔は、さらなる成長を予感させる。あの日、ハマスタで流れた母の涙は、これから何度でも立ち上がるための、何よりの道標になるはずだ。

(飯田航平 / Kohei Iida)