12奪三振のうち11個はツーシーム「制球できた」
「5―4―3」の併殺打で試合を締めくくると、グラブをポンポンと叩いて喜んだ。「1軍でやりたいですね、こんなピッチングを」。ゲームセットの瞬間も、マウンドに立っていられる。先発投手として、この上ない達成感を噛み締めた。28日に行われたファーム・リーグの日本ハム戦(タマスタ筑後)で1失点完投勝利を挙げた中村稔弥投手。12奪三振の快投を支えたのは、大学時代に出会ったツーシームだった。振り返ったのは、11年前の春――。
中6日で迎えた28日の試合。2回にソロ本塁打を許したものの、テンポよくアウトを積み重ねていった。9回のマウンドにも上がると、最後は常谷を三ゴロ併殺に打ち取り、試合を締めくくった。「(完投は)2軍で1回、あったかもしれないです」。被安打5、114球という内容で、最後までマウンドを譲らなかった。
直球は140キロ前後という左腕だが、この日は12奪三振。そのうち、実に11個がツーシームで奪ったものだった。「自分で投げたいところにコントロールできていたので、そこがよかったんだと思います」。自分だけの“ウイニングショット”に出会ったのは、大学1年生の春。亜大の生田勉監督に言われた一言がきっかけとなった。
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この先で分かる3つのこと
12奪三振を支えた中村稔弥のウイニングショット
小笠原コーチがあえてトレーナーを挟んで確認したこと
東浜巨から受け継ぐ系譜。深いツーシームの歴史
2015年から亜大に入学…ツーシーム習得のきっかけになった一言
「これは投げておけ」――。
亜大とツーシームといえば、深いつながりがある。2009年に入学した東浜巨投手が投げていたツーシームは、山崎康晃投手(DeNA)や九里亜蓮投手(オリックス)に受け継がれたことによって、次第に“亜細亜ボール”と呼ばれるようになった。背番号16の右腕も「後輩たちがどんどんモノにした感じ。定着しているのは光栄なことですけど、僕としてはビックリしかないです」と謙遜しながら語っていた。
東浜とは6歳差の中村稔だが、その“系譜”はしっかりと継承されている。長崎・清峰高時代には投げていなかったというツーシームだが、生田監督の言葉を機に、習得に励んだ。「大学時代は良く練習しましたね。僕も巨さんからのつながりでしたし、今でもツーシームが落ちなくなったら『どうですか』と聞くことはあります。今日も真っすぐの軌道から落とせているのがよかったと思います」。磨き続けてきた武器を、思う存分に発揮できた一戦となった。
「『長いイニング投げてくれ』と言われていたので。四球を1つ出してしまったんですけど、しっかりと制球ができていたのは良かったと思います。そこ(ツーシーム)を磨いて、上でやれるように頑張りたいです。前回登板は最後に打たれちゃったので、今日はピンチになっても低めに投げることを意識していました」
小笠原コーチがあえてトレーナーを通して疲労を確認した意図
練習が厳しいことでも知られる亜大。絶対にマウンドを譲らない――。そんな“意地”は、この日の姿からも垣間見えた。球数が増えてきた試合終盤。小笠原孝2軍投手コーチ(チーフ)は苦笑いでこう振り返る。
「疲れも感じ始めるところだったんですけど、僕から聞いても絶対に『大丈夫です』としか言わないので。そこはトレーナーに聞いてもらって、確認しました。顔は優しいんですけど、そういう一面はある選手ですよ」
中日時代も含めて、数々のプレーヤーと接してきた小笠原コーチ。中村稔に対しても「『亜細亜だな』と感じることはありますし、心の隅には(大学の教えなどが)あるんじゃないですか」と頷いた。直球とツーシームの球速差は10キロ程度。「軌道はほとんどフォークですよね。カーブも交えながら、中でも一番よかったのは真っすぐ。速いわけじゃなくても刺し込めていたので、タイミングをずらせて打ち取れていた」。同コーチは三振の山を築いたコンビネーションを高く評価した。
26日から交流戦が始まり、1軍は巨人を相手にカード勝ち越しを決めた。方針を決めるのは首脳陣。それを理解しつつ、中村稔は「一番はそこで上がりたいですね」と先発への意欲を口にした。自分だけの“ウイニングショット”を武器に、激しい競争を勝ち抜いていく。
(竹村岳 / Gaku Takemura)