「推薦なし」から掴んだ興南の背番号1 北斗の逆転人生…転機となった島袋洋奨氏の金言

  • 記者:竹村岳
    2026.05.08
  • 2軍

育成8位・北斗の転機…下克上で掴んだエースナンバー

 ホークスの将来を背負う育成選手に焦点を当てた鷹フルの新コーナー「未来の推し鷹」。今回は北斗投手(本名は大山北斗)が登場です。昨年のドラフト会議で全体116人中、116番目の指名を受けた男。「下克上が一番熱いですよね」と真顔で語るのは、自らの力で道を切り開いてきた過去があるからです。右腕のルーツは、沖縄・興南高時代。120人を超す部員の中で、背番号1を掴み取るまでの逆襲劇に迫ります――。

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「部員がたくさんいた中で、自分が3年生になった頃には背番号1まで登り詰めたので。その経験があるからこそ、どんな場面でも立ち直れるメンタルが付きましたし『自分は下克上でやっていける』という自信もつきました」

 興南高は2010年に甲子園春夏連覇を達成。沖縄・糸満市出身の右腕が「KONAN」のユニホームに憧れるのは、自然の流れだった。「最初は糸満高校に行って、強豪を倒すために野球をやろうと思っていたんですけど、やっぱり甲子園に一番近いのは興南だなと。別に選手じゃなくても、応援団か何かで甲子園に行けたらいいな、くらいに思っていました」。

「めっちゃアホだったんです」と自虐気味に笑う中学時代。3年生になると、放課後は塾に通う日々が始まった。「興南への野球推薦をもらえなかったんですよね。だから『やばい、勉強しないと』って」。原動力は、憧れのユニホームを着たいという執念。猛勉強の末、一般受験で“夢”への切符を掴み取った。「面接もあったんですけど、『野球をします』と話したら『頑張ってね』と言われました。1週間後くらいに通知が来て、嬉しかったです」。自宅に届いた封筒を開け、合格の2文字を見た時の興奮は今でも覚えている。

 念願の名門校で待っていたのは、120人を超える部員との熾烈な争いだった。「2学年上に宮城(大弥)さんがいて『ここでエースになるなんて無理だな』と思いました」。それでも北斗はなぜ“下克上”を果たし、エースナンバーを掴めたのか。最大のライバル、恩師、そして“116番目”のドラフト指名まで――。右腕の野球人生を紐解いた。

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この先で分かる3つのこと

推薦漏れから一般入試で掴んだ“興南”の夢
伝説のエース・島袋洋奨の金言で変わった人生
ドラフト開始から4時間、116番目指名の裏側

かつてのエース・島袋洋奨氏から授かった金言

「合格したらしたで『野球めっちゃ練習しないと!』っていう焦りが勝ちました。他には推薦で入ってきた選手がいるわけじゃないですか。同級生もみんなデカいし『これと戦うのか……』みたいな。『絶対にこれは3年間補欠だわ。そのまま野球人生も終わるかな』と思っていたんですけど、とにかく燃え尽きてもいいから頑張ろうと思いました」

 今では体重83キロだが、当時は体の線も細かった。重点を置いたのは徹底した走り込みと食事。どれだけ暑くても、この2つからは決して逃げなかった。「小さい坂があるんですけど、そこでダッシュを100本したこともあります」。中でもキツかったのが、ウオーミングアップだ。「“興南アップ”と呼ばれているんですけど、ただ汗をかくだけじゃなくて自重の筋トレや手押し車があったり……。端から端まで砂が詰まった鉄パイプをバットに見立てて素振りもしていました」。古典的かもしれないが、こうした練習が右腕の揺るぎない土台を作っていった。

 努力を怠らない右腕に、転機が訪れる。地道に練習を重ねていた2年の頃に、かつてホークスにも在籍していた島袋洋奨氏が、指導者となって帰ってきた。憧れ続けた「KONAN」のエース。その一言が、北斗の道筋を明るく照らした。

「お前ならいけるから」

 2010年に「背番号1」をつけて春夏連覇を成し遂げた島袋氏。沖縄中が熱狂したあの夏、北斗も1人の少年として胸を熱くしていた。「僕は右投げで洋奨さんはサウスポーなので。投げ方は教わらなかったんですけど、メンタル面で『いけるから』とずっと言われていました。興南の大エースだった人にそんなこと言われたら『絶対いける』と思えるじゃないですか」。初めて背番号をもらった3年春――。憧れ続けた“スーパースター”に背中を押されたことが、大きな自信へと変わった。

興南高で初めて背番号1を与えられた瞬間

 そして、ついにその瞬間がやってくる。3年春の県大会は背番号「10」だったが、決勝の沖縄尚学高戦で完封勝利を挙げ優勝。続く九州大会で、念願のエースナンバーを託された。「『やっと一番上まできた!』と思いました。やってきたことが間違いじゃなかったんだなって。自分次第で人生は変えられるんだなと思いました」。味わったことがないほどの達成感に包まれた。

「練習が終わって外が暗かったことを覚えています。僕たちは練習終わりに豆乳を飲むんですけど、その時に監督から『背番号を発表するから集まって』と言われました。『1、大山』って僕が最初に呼ばれた時にはみんなも驚いていました」

 手にした夢は、自分だけのものではない。高め合うライバルがいたから、右腕は努力を続けられた。高校時代、同学年には巨人にドラフト3位で入団した山城京平がいた。「ライバルと思っているのは自分だけかもしれないですけど、負けたくない気持ちと同じくらい、感謝もしているんです」。頬を緩めて語る表情から、2人の関係性が伝わってくる。

 中大に進学すると、準硬式野球部に所属。球速は最速152キロまで伸びるなど成長を遂げ、プロ志望届を提出した。運命のドラフト当日。午後4時50分に始まった会議は、支配下から育成へと移り、刻々と時間が過ぎていく。ホークスが育成3位で指名したのは中京大の大矢琉晟投手だった。「『おおや……』まで僕と一緒なので、そこでめっちゃドキッとしました」。

 ようやく「大山北斗」の名が呼ばれたのは、全体116番目。時刻は午後8時30分を回っていた。大学の一室でチームメートと喜びを分かち合ったのは大切な思い出。この“116番目の男”という立ち位置を、自身はポジティブに捉えている。

「これはもう運命だと思いましたね。高校の時と同じような状況ですし、準硬式ってやっぱり知っている人も少ないので。この世界で実力を証明できるように頑張りたいですし、覚えてもらいやすいと思います。だから、最後の指名は一番熱いです。ここから上がっていくだけなので」

 順調に調整を続け、5月4日にはファーム・リーグのオリックス戦で公式戦デビュー。1イニングを3者凡退に抑える投球を見せた。北斗の“下克上ストーリー”は、まだ始まったばかりだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)

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