木下勇人が絶望した「真っ白な右足」 緊急搬送の病室で聞こえた“声″…4時間超の大手術

高卒2年目の19歳…俊足巧打の外野手

 将来のホークスを背負う育成選手に焦点を当てた新コーナー「未来の推し鷹」。今回は高卒2年目の木下勇人外野手の登場です。15歳で沖縄から千葉への野球留学を決断し、入学後1週間で陥った“ホームシック”。今も脳裏に焼き付いている、見慣れない天井。そして、昨年春に経験した「4時間半の大手術」――。19歳の壮絶な野球人生に深く迫りました。

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 全身麻酔の深い眠りから覚めたのは、日付が変わったばかりの午前0時30分だった。視界はぼんやりとしている。木下勇人外野手が真っ先に見たのは、白く太い包帯に包まれ、感覚さえ失った自らの右足だった。4時間超の大手術。19年で歩んできた壮絶な野球人生を紐解いた。

 2024年育成ドラフト11位でホークスに入団。昨年4月、2軍の練習試合で大怪我を負った。ファウルゾーンの飛球に対してスライディングキャッチを試みたが、右膝がフェンスに激突。シーズンを棒に振り、春以降はすべてリハビリ生活に費やした。非公式戦出場はわずか14試合。年が明け、今年の3月からようやく実戦復帰を果たした。

 故郷の沖縄については「安心できますし、僕の中では一番好きな場所です」と頬を緩める。千葉経大付高で青春の3年間を過ごしたが、なぜ15歳にして親元を離れ、関東への“野球留学”を決意したのか。ホームシックの向こうに見定めていたプロという目標。苦難を乗り越えて、木下の“今”がある。

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続きの内容は

15歳で沖縄を離れた決断と「1週間のホームシック」
4時間の大手術…午前0時30分に目覚めた“白い足”
繰り返すリハビリの果てに。今も残る「スピードの不安」

高3夏も4回戦敗退「実感も沸かなかったです」

「中学時代の監督に(千葉経大付高との)つながりがあって、『行くか?』と言われたことがきっかけです。関東ならいろんなスカウトが見てくれる、と。家族からも『自分で決めろ』と言われたので、意外とすんなり進路は決まりました」

 縁もゆかりもない土地へ行く。15歳の少年にとっては当然、心細かった。「たまたま地元で『千葉経済に行く』ってやつを見つけたので、そいつにはDMもして。誰も知らないっていう状況ではなかったですけどね」。入学して、わずか1週間。ホームシックになるのに、時間はかからなかった。

 千葉経大付高の寮は4人1部屋。目を覚ますと、見慣れない天井が視界を覆っている。「朝起きた時に『家じゃない……』みたいな感覚で。それが1週間くらい続いたのが一番嫌でしたね」。甲子園出場はなく、3年夏の県大会も4回戦で敗退。「負けるはずじゃないところで負けちゃったので。『終わったな』っていう感覚もあまり湧かなかったです」。涙も溢れてこない。スカウトの目に止まることも目標の1つだったが、青春は静かに幕を下ろした。

 大学進学も選択肢に入れていたが、またしても監督の言葉に背中を押された。「プロと大学、どっちを優先するかという話をしていたんですけど。『高卒でプロに行く方が絶対ためになるぞ』って言われたことで、僕の中でも決めました」。腹を括ったからには、迷いはない。勇気を持ってプロ志望届を提出した2024年10月5日は、日付まで覚えている大切な瞬間だ。

口にした不安…もう1度全力で走るために

 覚悟を決めて飛び込んだプロの世界。抱いていた希望は、すぐに絶望へと変わってしまった。2軍の練習試合でフェンスに激突し、救急搬送。「全部記憶はありますね。病院に着いてから検査にも3、4時間がかかって。『手術は難しい』というような議論もされていたみたいです」。全身麻酔で意識が薄れていく中、最後に時計を見たのは午後7時だった。日付をまたいだ午前0時30分、目を覚ますと右足は包帯に巻かれて“真っ白”に。全てが終わったことを実感した。

「左足の四頭筋も痛めましたし、思い通りにいかないリハビリがけっこう続きました。1回復帰しかけたのに、また落ちるっていうのが何回かあったので。それはしんどかったです」

 タマスタ筑後で汗を流す若鷹の中では、頭1つ抜けている俊足の持ち主。下半身の怪我が相次いだことに「今もまだ感覚が戻ってきていない感じはあるので。正直、不安はありますね」と本音も漏らした。いつかもう1度、全力でグラウンドを駆け抜けたい――。「スピードに乗れるように。まずはそこを頑張りたいですね」。限られた枠をかけ、目標に向かって一直線に突っ走る。

(竹村岳 / Gaku Takemura)