20日の阪神2軍戦に前回登板「前向きな内容でした」
マウンドを降りても、ベンチの奥に姿を消すことはなかった。91球で交代を告げられ、後輩にバトンを託す。当然のように交わしたハイタッチには、東浜巨投手が「毅然さ」を貫く理由が凝縮されていた。礼に始まり、礼に終わる。感情を押し殺して戦い抜いたこの1か月間。背番号16が打ち明けたのは、「苦しかった」という本音だった。
20日、ファーム・リーグの阪神戦(タマスタ筑後)。開幕前最後となる登板で、東浜はひとつの答えを出した。春季キャンプからテーマに掲げていた「出力」の向上。この日、最速148キロを計測した右腕は手応えをこう口にする。「暖かくなってきたら球速が出るというものでもない。(きっかけを)探してきた結果というか、積み重ねだと思うので。いいものは見え始めているし、僕としては前向きな内容でした」。7回途中2失点という結果以上に、今後につながる“何か”を見つけたのは確かだ。
昨オフに国内FA権を行使した上でホークス残留を決断した。6月には36歳を迎えるプロ14年目。並々ならぬ覚悟で開幕ローテーション入りを目指してきた。限られた枠を奪い合う競争。結果に一喜一憂してもおかしくない中で、右腕の佇まいは常に凛としていた。「苦しかったですよ」。そう語る東浜にとって、大切にしているルーティンは、自身がプロ野球選手であることの何よりの“証”でもあった。
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続きの内容は
148キロの裏にある泥臭い積み重ね…2月から一貫していたテーマ
「隙を見せたら1軍ではやっていけない」走り続けたベースカバーの矜持
後輩を待ち続けたハイタッチ。東浜巨が「毅然」と戦う理由
プロの世界で野球ができるのは「当たり前じゃない」
「(1か月間の競争は)苦しかったなというのが正直なところで、なかなか(状態が)上がってこなかったというのが自分の印象です。メンタルは動くじゃないですか。そこに対してしっかりと向き合った状態でグラウンドに出ていくこと。それは心がけていました。グラウンドを出ればいつも通りの自分ですし、機嫌が良くても、不安があっても同じように野球に入っていく。特に何かを意識していたわけではないですけど、自然とそうなっているのかなと思います」
幼少期からホークスに至るまで、多くの良師に恵まれた。今でもグラウンドに出入りする際は、必ず帽子を取って一礼する。それはプロとしての矜持を貫くための“スイッチ”だ。
「確かにそういう瞬間ですね。どの球場であれ、ここ(プロの世界)で野球ができるのは当たり前ではない。いつも『怪我なくお願いします』って思いながらやっていることです」。結果が出ない日も、足元を見失わなかったのは、長年積み重ねてきた感謝のルーティンがあったからだ。
この日の阪神戦、東浜は7回無死二塁のピンチを残して降板した。調整登板の先発投手であれば、役目を終えてクラブハウスへと引き上げるケースも少なくない。しかし、東浜は2番手の木村大成投手が3つ目のアウトを取るまで、ベンチで戦況を見守り続けた。
「僕が残したランナーですし、力ませてしまったというか、そういう思いはあったので。そこは先発、中継ぎとか関係なくチームでやっていること。1軍、2軍、3軍は関係ないですし、それは“当たり前”のこと。良かろうが悪かろうが、隙を見せたら1軍ではやっていけないので」
怠らなかった“当たり前”「チームの士気が下がるので」
3月の実戦登板は3度。オープン戦では2試合に登板して防御率9.00。開幕ローテ争いの選考材料となった3月1日の西武戦(アイビースタジアム)では、初回から6連打を浴びるなど3回7失点と打ち込まれた。しかし、その中でも東浜はベースカバーを一度たりとも怠らなかった。
「投げた瞬間から、もう投手はコントロールできない。でもカバーリングはどんな時もできる。おろそかにしたら野手も見ているし、チームの士気が下がる。どれだけ状態が悪くてもやらないといけないです」。快音を止められない屈辱、失点の痛み。それらをすべて飲み込み、マウンド上では毅然と振る舞い続ける。そこには「野球はチームでやるスポーツ」と言い切る、ベテランの信念が宿っていた。
「1試合1試合が本当に、意味の強い登板だと思います。この1年間、そういう覚悟を持ってやっていきたい。次の登板はもちろん、しっかりと自分の状態を上げることを考えて、もっともっと良くなるように詰めていきたいです」
開幕ローテーションに誰を据えるのか。どんな形であったとしても、首脳陣の“答え”はもうすぐ出る。「どうなるかわからないですけど、僕は最善を尽くして準備したいと思います」。感謝と謙虚さを胸に、グラウンドへ送る深い一礼。その背中には、東浜巨の生き様が鮮やかに映し出されていた。
(竹村岳 / Gaku Takemura)