今年のホークスは「僕のチーム」 “重症”で戦った1年…日本一に導いた周東佑京の覚悟

周東佑京【写真:加治屋友輝】
周東佑京【写真:加治屋友輝】

右腓骨骨折から復帰後に繰り返した言葉

 ホークスは阪神との日本シリーズを制し、5年ぶりの頂点を掴み取りました。8年目のシーズンを満身創痍のまま走り抜けた周東佑京内野手。実は重症だった腰の状態、ベンチから見守ることしかできなかったリーグ優勝。そして、グラウンドで迎えた日本一。「もう今シーズンで潰れてもいい」――。就任2年目を迎えた選手会長として、これまで語ることのなかった“覚悟”を打ち明けました。

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 右腓骨の骨折から約1か月ぶりに1軍へ戻ってきた5月20日以降、球団トレーナーの1人は周東の口から“驚きの言葉”を何度も聞いたと証言する。

「このチームは僕のチームなので。僕が出ないとダメなんです」

 確かにここ数年はチームリーダーとしての自覚を感じさせる発言が増えていた周東ではあるが、「僕のチーム」とまで言い切ったことに驚きは隠せなかった。「そんなこと言いましたっけ?」。そう照れ笑いを浮かべつつ、選手会長が語ったのは1年間抱き続けた強い決意だった。

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続きの内容は

・周東が封印した「40歳まで現役」の真相
・骨折寸前だった「腰痛」で戦い抜いた日々
・日本一へ導いた「笑顔の裏」にあった覚悟

「そういう気持ちは確かにありましたね。今年に関してはやっぱり『やんなきゃいけない』という思いが強かったです。僕自身も選手会長2年目だし、年齢的にも(来年2月に)30歳になるっていうのもあったので。去年以上の成績を残したいとも思っていたし、自分にプレッシャーをかけたかったというのもありました」

「去年ももちろん優勝したかったけど…」明かした本音

 昨季は自身のキャリアで初めて規定打席に到達し、さらなる飛躍を誓って迎えた今シーズン。出だしはチームにとっても、周東にとっても予想外だった。白星が遠い日々、そして自身は4月23日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)で死球を受けて右腓骨を骨折し、離脱を余儀なくされた。

 自身が不在の間に、ホークスは勢いを取り戻しつつあった。最大「7」あった借金を着実に減らし、勝率5割復帰を果たしていた。そんな中でチームに戻ってきた周東の胸の内には、強く期するものがあった。

「去年ももちろん優勝したかったですけど、今年の方がその思いはより強かったです。あれだけ怪我人が出て、『主力がいないと優勝できない』と思われるのも癪だったし。みんなが最下位からあれだけ巻き返してきて、僕が怪我してる間にいい順位まで持っていってくれた。その頑張りを無駄にしたくないっていうのもあったので。だから今年に関しては『もう本当に潰れてもいい』と思いながらやっていました」

 自身で描いた“未来予想図”を覆すほどの、強い覚悟だった。昨年の日本シリーズ終了後、鷹フルのインタビューを受けた周東はこのように話していた。「家族のためにというのもありますし、僕自身がもっと長く現役をやりたいと思っています。40歳までやりたいとか、目標も変わってくるものなのかなと思います」。自ら口にした思いを“封印”してまでも、2025年シーズンは優勝の2文字にこだわった。

楽天戦でのダイビング…注射を打ち続けた日々

 そんな周東にさらなる試練が襲い掛かった。7月12日の楽天戦(楽天モバイルパーク)。センター前へ落ちそうな打球にダイビングを試みた際、強い痛みが走った。それからは痛み止めの注射を打ち続ける日々が始まった。

 当時は「腰痛」の2文字で報じられていた腰の状態は、骨折に近いほどの重症だった。それでもプレーを続けたのは、ひとえに自らの意思だった。「注射を打ってあかんかったら『さすがにヤバいな』とは思ったんですけど、動けたから。動ける分には大丈夫だと思ったし、やんなきゃいけなかったので」。強い精神力のみでグラウンドに立ち続けた。

 パ・リーグ連覇を決めた9月27日の西武戦(ベルーナドーム)。周東はベンチスタートのまま、出場機会もなく優勝を見届けた。「きつかったです、やっぱり。最後一緒に戦えなかったのがきつかったです」。レギュラーシーズンは96試合の出場で、規定打席には「13」足りなかった。「やりきったという思いは全然なかったです」。

 胸に残った悔しさを晴らすかのように、日本シリーズ第2戦では新記録となる1試合5安打を記録するなど、まさにチームの先頭に立ってナインを引っ張った。常に痛みを抱えながらも、そんなそぶりは全く見せず、どんな時も笑顔を見せ続けてきた背番号23。1年間走り抜いた29歳の表情はようやく安心感に包まれた。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)