「僕が今現役でいられるのも拓也のおかげ」…ともに成長し、刺激し合った日々
感謝してもしきれない存在だ。ソフトバンクの東浜巨投手が振り返ったのは、巨人にFA移籍することが決まった甲斐拓也捕手との日々だ。「拓也のおかげ」――。多くの投手から絶対的な信頼を寄せられてきた正捕手がチームを去ることになった。
「ちょうど(甲斐が)1軍に出始めた時くらいからバッテリーを組んでいるので。今のピッチャー陣の中では、拓也と組んでいる歴は僕が1番長いと思います」。東浜は甲斐との関係性の深さを“自負”する。
2017年4月2日のロッテ戦、プロ7年目にして初めてスタメンマスクをかぶった甲斐と“1軍初バッテリー”を組んだのも東浜だった。16勝を挙げて最多勝のタイトルを獲ったのもこの年。2022年にノーヒットノーランの快挙を成し遂げた際には「拓也のリードが僕の中では大きい。拓也ととったノーヒットノーランだと思います」と言い切った。右腕が笑顔を見せる時には、いつも隣に“相棒”がいた。だからこそ、野球人生で大きな決断を下した後輩にこんな言葉を口にした。
「僕の節目となる時には必ず拓也がいた」
右腕はマウンドに上がる度、甲斐のためにも、甲斐とともに勝ちたかった。「どんな時でもピッチャーの味方でいてくれる。僕らが打たれた時でも、拓也が(責任を)背負ってくれるところが大きかったんです。だから、そのリードにずっと応えないといけないという思いで投げていました」。投手の力量不足やミスで敗戦しても、甲斐はいつだって現実から目を背けることはなかった。
ともに過ごした日々は、一言では表せない。「思い出はありすぎて……。もちろん、全部が思い出です」。2010年に高卒で育成入団した甲斐と、2012年のドラフト1位で指名され、鳴り物入りでホークス入りした東浜。寮生時代には時折会話をしたり、ファームの試合でバッテリーを組んだりしたこともあった。
甲斐は3年目オフに支配下選手登録され、翌2014年に初めて1軍昇格。徐々に接点も増えてきた2017年、「拓也がちょうどレギュラーで出始めの時に、僕と千賀(滉大)がバッテリーを組むところからスタートしました。当時、工藤(公康)監督とコーチから『東浜と千賀は拓也と一緒にセットで組ませるからよろしくな』って言われたのは、今でも覚えていますね」と思い返す。
1軍初バッテリーから深まった2人の絆。東浜は「僕らもまだ駆け出しの時だったので、(自分が甲斐を)育てたとかそういうのじゃなくて。もう本当に一緒にやってきたし、一緒に成長してきた。刺激し合ってきたという感覚です」。ともに歩んできたことを改めて噛み締める。
移籍発表前夜の16日には甲斐から着信があったが、すでに寝ていて電話を取れなかった。翌朝、改めて受話器越しに会話した。「いろいろ考えて移籍することになりました」。甲斐からの報告を受けた東浜は、「もう『ありがとう』しかないですよ。もうその一言に尽きると思いますし、本当に『僕が今こうやって現役でやっていられるのも、拓也のおかげだから』っていうのは伝えました」と微笑んだ。
「別のチームに行くのは寂しいですけど、彼ならそのままでいてくれるだろうし。あれだけ対戦相手のことを見ながら、データを研究しているキャッチャーも見たことないので。そういったところでは、今まで受けてもらったピッチャーは全員感謝していると思いますよ。キャッチャーとして、選手として、尊敬できるところです」。2学年下の後輩への賛辞を惜しまない。
節目には必ずそばにいてくれた存在。「拓也のおかげで今の僕がある。そこはやっぱり感謝してもしきれない。一緒に成長しつつも、すごい選手になったなと思います」。東浜は育成入団からチームの正捕手、そして日本代表にまで駆け上がり、さらなる挑戦を決断した仲間を誇らしそうに讃えながら、寂しさも隠さなかった。次はきっと最高の舞台で再会してくれるはず。甲斐への感謝を胸に、右腕は13年目の来季へ向けて黙々と汗を流していた。
(上杉あずさ / Azusa Uesugi)