オスナが語る“母の愛”…感謝の気持ちは「倍で返しなさい」 大好きな日本に「長く住みたい」

ソフトバンクのロベルト・オスナ(右)と17年前にお世話になったホストファミリーの土屋武彌さん【写真:竹村岳】
ソフトバンクのロベルト・オスナ(右)と17年前にお世話になったホストファミリーの土屋武彌さん【写真:竹村岳】

25日のロッテ戦でかつてのホストファミリーと再会「本当に素敵な時間」

 17年越しに、感動の再会を果たした。「特別な時間だったし、僕のことを覚えていてくれて嬉しい。本当に素敵な時間を過ごさせてもらいました」。ソフトバンクのロベルト・オスナ投手は、25日のロッテ戦(ZOZOマリン)に土屋武彌さんを招待した。2007年に来日した時にお世話になったホストファミリーだ。語られたのは、母からもらっていた大きな愛。「気持ちを伝えるには倍にしなさい」という幼少期の教えを激白した。

 2007年にメキシコ代表として「第25回少年軟式野球世界大会」に出場。ナショナルチームで「コロンビアだったり、ヨーロッパにも行った」という中で、日本では千葉県御宿町に1か月近く、滞在していた。鷹フルに「一緒に探してほしい」と記事化を依頼すると、2組のホストファミリーはすぐに見つかった。その1組が土屋さんだ。

17年前のソフトバンクのロベルト・オスナ(右)とホストファミリーの土屋武彌さん【写真:本人提供】
17年前のソフトバンクのロベルト・オスナ(右)とホストファミリーの土屋武彌さん【写真:本人提供】

 土屋さんはこれまで預かった外国人の中でも、「一番ヤンチャでした」と笑って振り返る。オスナ自身も「昔から、楽しむことを考えていました」という。「それがひょっとしたら他の人に迷惑になったかもしれないですけど、そういうわけじゃなくて、一緒に楽しみたいということです」と、今だからわかることもたくさんある。17年前の記憶は、今も鮮明に覚えていた。

「自分がヤンチャだったことは覚えているし、ヤンチャなことをしてスプーンで頭を叩かれたことも覚えています。ただ、あの期間があったから今の自分がある。あと嬉しいのは、けっこう前の話だけど自分のことを覚えていてくれたこと。本当に昨日は会えて、交流できてよかったです」

 土屋さんの目から見ても、メキシコ代表の中でも「オスナ君は別格でした」という存在感だった。オスナ自身も「エースで4番だった。この時代表でチームメートだった選手は、メジャーにまで行った選手もいる。ほとんどの選手が、米国のリーグに挑戦したよ」と、大切なチームメートと過ごした時間だった。まだまだヤンチャな少年だった12歳。「ウオーミングアップが大嫌いだったんだ」というのも、なんだかオスナらしく思えてしまう。

ロベルト・オスナが選出された17年前のメキシコ代表【写真:本人提供】
ロベルト・オスナが選出された17年前のメキシコ代表【写真:本人提供】

 今でも土屋さんが覚えているのは、1通の手紙。オスナの母が持たせた手紙には「私は残念ながら行けませんので、息子をよろしくお願いします」とスペイン語で書かれていたという。幼少時代からの教育をオスナは「日本みたいな感じでした」と振り返る。

「礼儀をしっかりして、挨拶をしっかりしなさいと。お母さんがよく言っていたのは、自分が何かをしてもらったら2倍にして返しなさい、何かをしてもらったら倍返しだと。なぜかというと、お金がなかったから、ありがとうという気持ちを伝えるには倍にしなさいと言われていました。日本みたいな家庭で過ごしたから対応しやすかったのもありますし、日本人みたいなお母さんでした」

 メキシコに住んでいた幼少期、家庭は裕福ではなかった。だからこそ、人の気持ちだけは何よりも大切にしなさいと育てられてきた。

「僕も弟もそうやって育てられてきました。例えば『公共の場で女の人と手を繋ぐのは良くないから、そういうことはやめなさい』とか、いろんなことを教育してもらった。手紙を渡したのもとてもいいことだと思うし、もしもお金があったらお菓子とかフルーツを買ったのかもしれないけど、お金がなかったから手紙で感謝の気持ちを伝えたかった。それが唯一できることでした」

ロベルト・オスナが選出された17年前のメキシコ代表【写真:本人提供】
ロベルト・オスナが選出された17年前のメキシコ代表【写真:本人提供】

 ヤンチャだったというのも「家にいる間は、お母さんがしっかりしていたから。たまに友達と出かける時、お母さんがいない時はイタズラをしていたけど、家にいる時は怒られないようにしていました(笑)」と、少年らしいある種の“反動”だった。土屋さんと過ごした時間が今でも印象深いのは「好きなこと(野球)で来ていたし、いつものルールとは違っていたからね」と自分なりに新鮮味を感じ、楽しむことができたからだ。

 母からの影響があったのか、日本への対応も早かったそうだ。「日本という文化にとても興味があったし、本当にすごく全てが楽しかった。球場の中も、外でも楽しくて、自分から率先していろんなことをやったから早く対応できたのかなと思います」。大好きなコーラをいっぱい飲んでは、土屋さんに怒られた。球場と御宿を往復する日々。金メダルを手にして帰った母国。家族にも「日本は最高だったという話はしました」と、身に起こったことを伝えて笑い合った。

 2022年からNPBのキャリアがスタートし、今季からは4年契約を結んでいる。「まだ確定ではないけど」としながら「今年の6月か7月くらいに、お母さんが初めて日本に来られるかもしれない。お母さんが日本に来ることは自分も楽しみですし、お母さんも楽しみにしている」と明かした。土屋さんに会いたいと最初に思った気持ちから、実際に対面するまで。多くの人に支えてもらって、より日本を好きになった。

「改めて土屋さん、そして皆さんにもお礼を伝えたいです。皆さんは、僕が困っている時に助けてくれた。こんなことをしてくれるのは日本だけだし、他の国だったらもっと難しかったと思う。前も言ったと思うけど、日本に住みたいと思っている。日本という国は最高です。12歳の時の話がネットやSNSで拡散されて実際に会えるなんて、素晴らしいことだと思います。長いこと日本に住みたいくらい、素晴らしい国だと思っています」

 自分を育ててくれた家族、お世話になった人、支えてくれているファンがいて、今のオスナがいる。もらってきた愛情を倍以上にして返すために、これからもマウンドに立つ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)