サヨナラ生んだWBCの激走は「中学時代と一緒」 恩師が絶賛…周東佑京の“見る力”

太田ボーイズ時代のソフトバンク周東佑京【写真:太田ボーイズ提供】
太田ボーイズ時代のソフトバンク周東佑京【写真:太田ボーイズ提供】

太田ボーイズの檜野監督が明かした中学時代の周東佑京

 ソフトバンクの周東佑京内野手は今年3月、野球日本代表「侍ジャパン」の一員としてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場。世界一に貢献した。準決勝のメキシコ戦では激走し、サヨナラのホームを踏んだが、その光景に懐かしさを感じながら見ていた人物がいた。

「あの時もそんな光景でしたね」。周東が中学時代を過ごした中学硬式野球「太田ボーイズ」の檜野武一監督は、懐かしそうに目を細める。思い起こすのは約12年前。群馬大会の決勝戦だった。当時、優勝を決めるホームを踏んだのが周東だったという。

「最後は確か暴投だったんですよ。でも二塁から一気にホームまで滑り込んでね。WBCでも、佑京が(準決勝で)最後ホームに帰ったでしょ? 当時を思い出しましたよね。『中学時代と一緒だな』って」

 3月20日(日本時間21日)の準決勝メキシコ戦、1点を追う9回1死二塁。吉田正尚外野手(レッドソックス)が四球で出塁し、代走として出番が来た。村上宗隆内野手(ヤクルト)の打球が中堅に飛んだ瞬間に、周東は迷わずスタートを切った。二走の大谷翔平(現ドジャース)を抜くかのような勢いで一気にサヨナラのホームを踏んだ。

 檜野監督は当時の周東を「言い方は少し悪いかもしれないですけど、“危機回避能力”の高い子でした」と振り返る。監督が怒りそうなタイミングを事前に察知。悪い点を修正するような選手だったという。一見、悪い言い方にも聞こえるが、裏を返せば、それだけ「周りを見られている選手」でもあった。

「周りがよく見えていましたよね。普段でも悪い結果が出る前に直している。走塁でも、投手が牽制してくるのか、それとも捕手がウエスト(意図的にボール球を投げること)して刺しに来るのかとか。色々ありますよね。佑京はそれを感知するというか。ちゃんと予測していて、予測にハマったら涼しい顔で帰ってくる」

 周東の“見る力”がより一層鍛えられた出来事があった。中学2年のころ、怪我で練習ができない時期があったという。その時、檜野監督は周東に「グラウンドを見ろ」と指示した。

「プレーしている時は夢中で気づかないけど、練習していないと集中して他の人のプレーを見ることができる。『目を使いなさい』と伝えていました」。周東自身も太田ボーイズに寄せたメッセージで「プレー中は気づかなかった他の選手の動きや役割が見えてきた。どんな状況でも学べることに気づきました」と語っている。

 WBCでもその“見る力”は発揮されていた。準決勝では、仮に村上の打球が外野手に捕球され、周東が帰塁できなければ試合終了の場面でもあった。それでも「ちゃんと中堅への打球を見て『行ける』と思って走ってましたよね」。土壇場での“好走塁”は中学時代からの積み重ねがあったからこそだった。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)