9回2死二塁から代走へ…牧原大成の一打で同点の生還
初の大舞台に感じる緊張をかき消すかのように、本能のまま頭から突っ込んだ。ホームベースに触れた確かな感触。振り返ると、審判の両手は横に大きく広がっていた。代走から同点の生還を果たしたイヒネ・イツア内野手。2年前、本拠地で味わった“悔し涙の記憶”。ベンチ裏で止めることができなかった大粒の涙。暗闇の中でもがいていた時、そっと隣に腰を下ろし、温かい言葉をかけてくれた先輩がいた。
27日に行われたDeNAとの「SMBC日本シリーズ2026」の第3戦。5回に奪われた1点を返すことができず、そのまま9回の攻撃を迎えていた。2死二塁になると、首脳陣はイヒネを代走に送り込んだ。直後に牧原大成内野手が右前打を放つと、22歳は全力疾走で三塁ベースを蹴り、ホームに突入。最後はヘッドスライディングで、貴重な1点をもぎ取った。
小久保裕紀監督も「初の舞台でよく返ってきた」と賛辞を惜しまなかった。2022年ドラフト1位で愛知・誉高からホークスに入団。4年目の今季は初の開幕1軍を掴み取ったが、わずか9試合出場にとどまっていた。日本シリーズ初出場で果たした大仕事。間一髪でセーフになったのは、類い稀なる身体能力の賜物だ。
「緊張しましたね。でも、横浜でも2戦目にベンチ入りはしていたので。代走からいく可能性があったんですよ。その時はもうバクバクでした。出番を待つのは緊張しますけど、グラウンドに出てしまえば、あとはやるだけでしたね」
両親はナイジェリア人。愛知で生まれ育ち、最初に始めたのはサッカーだった。友達からの誘いがきっかけで、小学校3年時から本格的に野球に打ち込むようになった。「野球はエラーばかりして、上手くいかなくて。それが面白かったんですよね。難しいのがよかったです」。当時から、自分の身体能力は周囲よりも頭1つ抜けていることは強く自覚していた。
走れば誰よりも速く、何をやっても勝ててしまう。“無敵”だった少年は、プロの世界で絶望と向き合った。「自分は野球に向いていない」。静まり返った食堂で1人、悔し涙を流すイヒネに寄り添ってくれた先輩の存在――。どん底の夜から数々の試練を乗り越え、背番号36は日本シリーズの舞台にたどり着いた。
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この先で分かる3つのこと
ドラ1指名を事前に察知…イヒネが驚いた監督との食事
「向いてない」イヒネを苦しめた理想と現実のギャップ
夜の食堂で1人で号泣…イヒネを救った先輩の優しさとは
事前に1位指名を公表…監督から知らされ「えぐいな」
「足は速かったっすね。何をするにも『何でみんなゆっくり走ってんの?』と思っていました(笑)。リレーとかをやっても勝っちゃうので。今思えば、何も知らないだけの子どもだったとは思うんですけど。何でもある程度できる、というのはあったと思います」
初めて買ってもらった黒色のグラブは「2000円か、3000円くらいのやつでした。今は実家の段ボールにでも入っているんじゃないですか」と懐かしそうに振り返る。高い能力に恵まれていたからこそ、なかなか上手くプレーできない野球の魅力にどんどん惹かれていった。
誉高時代には通算18本塁打を放ちながらも、甲子園出場はなし。無名の存在ではあったものの、ホークスはドラフト会議よりも10日前に1位指名を公表した。自分はドラフト1位指名を受ける――。そう知った時の記憶は、今も色濃く脳裏に焼き付いている。
「高校の(矢幡真也)監督と、進路のこともあって食事をしていたんです。その途中に監督の電話が何度か鳴っていたんですけど、食事中だったので取らなかったんですよね。その場が解散した後に、監督がスマートフォンを確認して『お前1位らしいぞ』と伝えられました。聞いた時はさすがにびっくりしましたね。『1位かあ、えぐいな』と思いました」
自分の能力があれば、プロの世界でも道を切り開いていける。満ち溢れていた自信は、すぐに砕け散ることになる。
2年目を迎えた2024年、球団の方針もあり2軍で出場機会を与えられ続けた。しかし、82試合に出場して打率.177、2本塁打、19打点。遊撃手としても20失策を喫した。20歳になるシーズンではあったものの、「もっとやれる」と思っていたイヒネにとって、理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。
「自分はこんなもんか。相当野球、向いていないんやな……」
時間が経つにつれて、ドラフト1位という肩書きも重みを増していく。周囲からさまざまな声が耳に入ってくる。その事実を、イヒネは否定しなかった。「2年目に僕が苦しんでいた時、『本当に重圧のせいなのかな』とは思いながら。だって、いろいろと叩かれたりもしますけど、それは自分が下手だから仕方ないじゃないですか」。痛感したのは自分の技術のなさ。結果を残せない現実に、時には逃げ出したいとすら思った。それでも20歳の若鷹は必死に前を向き、努力し続けていた。
2軍戦の後に流した大粒の涙「このままじゃ終わる」
自分から群れるタイプではない。荒金久雄コーディネーター(野手統括)をはじめ、周囲のサポートを受けながら一歩ずつ前に進んできたが、張り詰めていた心の糸はついに切れてしまう。2024年6月6日、みずほPayPayドームで行われたウエスタン・リーグの中日戦だった。チームは15-1で大勝したものの、自身は3三振に加えて失策も喫した。
試合が終わったのは午後9時9分。ミーティングを終えると、ナインは続々と帰路に就いていく。早く帰って翌日のデーゲームに備えないといけないことはわかっていたが、イヒネは1人、食堂のテーブルから動けずにいた。夜も更け、静まり返ったベンチ裏。気づけば、ボロボロと涙が溢れ出ていた。
「守備でミスして、バッティングもダメで。相当怒られたんだと思いますね。『このままじゃマジで終わるぞ』と。『上手くいかないな』と思っていた時に、声をかけてくれたのがリチャードさんでした」
昨年5月にトレードで巨人に移籍したリチャード内野手。1人で座り込んでいたところ、面倒見のいい先輩が隣に座ってくれた。「僕も1人になりたいタイプではあるんですけど、そこでリチャードさんがいろいろと話をしてくれたんです。『うわー、涙止まらへん』ってなったのは覚えていますね」。悔しさも辛さも胸の内に隠して戦ってきたが、この時だけは耐えられなかった。止まらないほどの涙が溢れてきたのだ。
一体、リチャードからどんな言葉をかけられたのか。イヒネは「いやいや、そんなの言わないっすよ」とキッパリ言う。その答えは、単なる照れ隠しではない。授かった言葉を自分だけの“宝物”として、胸の奥深くにしまい込んでいるかのようだった。「しかも、リチャードさんはずっと気にかけてくれていたんです。その日だけじゃなかったんですよね。あの人にその気はなかったかもしれないですけど、僕は本当に助けられていました」。先輩が新天地に移籍した今も、感謝の思いはどこまでも尽きない。
自信たっぷりに浮かべた笑み「こんなものじゃない」
2年の月日を経て、初の日本シリーズで見せた躍動。指揮官も絶賛した大仕事に、イヒネも「いつも通りでいられたんですかね。緊張はしていたんですけど、全力で走るだけでした」と汗を拭った。これで対戦成績は3勝0敗となり、チームは2年連続の日本一に王手をかけた。22歳の存在も、頂点を掴むために必要不可欠なピースの1つだ。
プロ4年間で通算出場はわずか10試合。秘めている能力が、ついに世間に“バレた”――。そう思わせるには十分なワンプレーだったが、本人は「まだまだこんなものじゃないですよ」と自信たっぷりに笑みを浮かべる。飄々(ひょうひょう)としていながらも、実は繊細な性格の持ち主。悔し涙から救ってくれた先輩の優しさのおかげで、イヒネ・イツアは今ここにいる。
(竹村岳 / Gaku Takemura)