2年連続日本一の夜に…前田悠伍が見据える“圧倒的な頂”
ホークスは28日、DeNAとの「SMBC日本シリーズ2026」第4戦に勝利し、4連勝で2年連続の日本一を達成しました。高卒3年目にしてレギュラーシーズンで12勝を挙げるなど、日本一に貢献した前田悠伍投手。「飲み会もご飯もいかない」。生活から“娯楽”と呼べるものを排除して、妥協なき姿勢で野球に向き合う21歳は、一体どこを目指しているのか――。親の前ですら見せられなかった喜び。原点のすべては、大阪桐蔭高時代にありました。
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大阪桐蔭高時代には3度の全国制覇を成し遂げ、ドラフト1位でプロの世界に飛び込んだ。高卒3年目ながらもパ・リーグ3連覇に大きく貢献。リーグ優勝を果たした9月中旬、背番号41はこう語っていた。
「自分がいる時に1つ優勝できたのは嬉しいですけど、まだ日本一は取れていない。日本一になってその場にいられたら、より嬉しいですかね」
あれから1か月半。日本シリーズ第4戦で先発した左腕は5回途中2失点の投球で試合を作ると、チームは逆転勝ちでDeNAを下し、ホークスが2026年の頂点に立った。歓喜の輪に駆け込み、ナインと喜びを分かち合った左腕。悲願を果たした最高の夜であっても、その心は燃え尽きるどころか、少しも満たされてはいない。
お酒は飲まない。SNSもやらない。自ら外食に出かけることもない。そして、それを「我慢しているとか、そういう感覚はまったくないです」とはっきり言い切る。21歳の若者が享受するような娯楽を、左腕は日常から一切排除して生きてきた。
歓喜の象徴であるビールかけですら、本音を言えば「行きたくない」と平然と話していた。まさに、野球こそがすべて。前田悠伍は一体どこを目指しているのか。そうさせるほどの野望とは一体、何なのか――。人生を作り上げてきたのは、“ナンバーワン”への渇望だった。
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この先で分かる3つのこと
娯楽を排除…前田悠伍が人と一緒を拒んで孤独を貫く理由とは
親の前でも納得せず…CS突破の夜に前田悠伍が見せた素顔とは
「俺に投げさせろ」妥協を許さない姿勢を作った高2春の記憶
「いいピッチングしないと」…“人と一緒”を拒む理由
「いいピッチングしないと自分の人生も終わる。それならやって当然でしょう。飲み会もご飯も行かないし、高校でそういうことが無縁だったので。別の高校ならまた違ったのかもしれないですけど、その経験が自分を作ってくれたのかなと思います」
迷いのない口調で語り、こう続けた。
「もちろんリフレッシュは大切です。ただ遊んでいる暇はないし、野球を考えている時はそこに没頭しないと、“人と一緒”になってしまう。上に行くためには、ほかの人よりも考えてやらないと無理だとわかっているので。それをやっているだけですね」
2021年から3年連続で沢村賞を獲得した山本由伸投手(ドジャース)のように、誰もが認めるナンバーワンになりたい――。そのためには“人と一緒”ではいけない。自ら孤独に飛び込むのは、辿り着きたい世界がまだまだ先にあるからだ。
レギュラーシーズンではチームトップタイの12勝を挙げた。シーズン最終登板となった10月3日のロッテ戦(ZOZOマリン)では122球の熱投を見せたが、13勝目には届かず。タイトル獲得とはならなかった。プロ野球選手なら誰しもが手にしたい栄冠の1つ。それでも前田悠は首を横に振る。
「全試合、僕が抑えて勝っているならいいんですけど、打たれているので。5回すら持たなかったり、野手の方が打ってくれて負けが消えた試合もあったので。それで僕自身がタイトル、タイトルとなっていても……」
言葉が止まる。少し考えた後、前田悠は「ダサいのかなと思います」と続けた。決して自らを卑下しているわけではない。「もちろん結果的に取れたら嬉しいですけど、今の僕ではまだまだ低い。圧倒してタイトルを取れた時、本当に心の底から嬉しいのかなと思いますね」。今季積み上げた12の白星は、周囲の支えがあったからこそ。それを誰よりもわかっているから、前田悠はタイトルを逃した事実に感情を表すことはなかった。
背番号「11」から始まった渇望…「俺に投げさせろ」の原点
妥協を許さない姿勢の原点は、やはり大阪桐蔭高時代にある。全国の舞台で勝つ喜びも、負ける悔しさも知った。自分の“世界”はどんどん広がり、前田悠が感じたのは「上には上がいる」ということだ。
「僕が別の高校に行っていたら、まったく違う人生になっていたと思います。性格的にも『道を外す』とまではいかなかったと思いますけど、もしかしたら可能性はあったかもしれない。大阪桐蔭に行って、あれだけすごい先輩たちがいて、闘争心や負けず嫌いがあそこで強くなった。桐蔭を選んで、西谷(浩一)先生のもとで野球をできたことが、今になっても大きかったなと思います」
初めて甲子園に出たのは2年の春。自身の登板は4試合のうち2試合で、背番号も「11」を背負っていた。下級生として期待されていたのは確かだが、まだ先輩たちに埋もれた存在。この時から左腕の中で、ナンバーワンへの渇望は大きくなり始めていた。
「俺に投げさせろ」――。
同大会を制して初めて全国制覇を成し遂げたが、感傷に浸ることはなかった。「僕はまだ2年生でしたし、夏の大会もあったので。高校野球もそうやし、プロの世界でも引退する時にはそう思うかもしれないですけどね。今は『次があるな』という感じです」。一つの目標を達成すれば、また新たな目標に向かって走り出す。その姿は、プロの世界で才能が開花し始めた“今”とも重なる。
美酒の夜、両親の前ですら浮かべなかった達成感」
10月16日に行われたCSファイナルステージ第3戦。5回2失点という内容ながらも、ポストシーズンで初勝利を手にした。リーグ優勝の時には味わえなかった歓喜の美酒。「最後までいさせられました」と苦笑いしたが、自分自身の存在をあらためて証明した一戦になった。
時刻は午後11時。初のビールかけを終えてスマートフォンを開くと、両親から連絡が来ていた。
タクシーに乗って急いで向かったのは、予約されていた個室の居酒屋。「僕が来るとは思っていなかったみたいです」。野球に向き合う姿勢を誰よりも知っているからこそ、扉を開け“息子”の顔を見た両親は驚きの表情を浮かべていたそうだ。
ラストオーダー間際に頼んだ食事を口に運ぶ。93球を投げ切った夜。身体には疲労と“ビールの匂い”が残っていた。両親からは「お疲れ様」と労いの言葉をかけられ、最高の親孝行が実現したはずだった。だが、21歳の心にその余韻は残っていなかった。
「それはなかったですね。もっといいピッチングをして会っていたら、親孝行ができたと思うかもしれないですけど。そこに関しては『まだまだ』という感じでした」
家族の前ですら、納得の笑みは見せなかった。「お酒も入っていたので、もう眠かったですね。目が痛かったです」。翌日はみずほPayPayドームで練習した後、滋賀に帰省した。それも羽を伸ばすためではなく、ずっとお世話になっているトレーナーにメンテナンスをしてもらうためだった。日本シリーズに向けて、着々と準備を進めていた。
渡米で知った世界基準…前田悠伍が目指す「圧倒的な1番」
昨年オフは千賀滉大投手と自主トレをともにした。渡米後に訪れたトレーニング施設では、自分よりも年下の選手が150キロ近くのボールをばんばんと投げ込んでいた。「上には、上がいる」――。だから、前田悠の野望が枯れることはない。
「目指しているところには、並大抵の努力ではいけない。だからこそ、人よりもやらないといけないです。野球を好きでやっていますし、夢見ていたプロの世界に入れているので。『プロになる』という夢は叶えましたけど、僕の“今の夢”はまだ叶っていない。それを超えていくために、せっかくやるからにはとことん突き詰めていきたいです」
どんな時も本気で野球と向き合い、作り上げてきた野球人生。前田悠伍にとって「勝つ」とは、一体何なのか――。
「同じ『勝つ』でも、絶対にいい準備をして勝つ方がいい。その方が反省もできますし、その1勝の価値というのもすごくある気がするんです。中6日を適当に過ごすよりも、やることをやって勝つ方が気持ちがいいので。成績で1番になるのは目でわかること。『こいつだったら』と、周りから認めてもらえるようになったら、本当の意味で1番になれるのかなと思いますね」
美酒に酔うこともなく、両親の前でも“甘え”は見せなかった。欲望を捨てているのは、すべて「ナンバーワン」になるため。「上には上がいる」世界で頂点に立った時、前田悠伍はどんな景色を見るのだろうか。
(竹村岳 / Gaku Takemura)