延長11回に決勝打「気づいたら打っていた」
横浜で生まれ育った24歳が、憧れた球場のド真ん中で熱い雄叫びをあげた。「自然と感情が出ちゃいましたね。嬉しかったです」。4時間12分の熱戦を制した直後、興奮が残る表情で振り返ったのは庄子雄大内野手だ。戦うことさえ許されなかった「6年前」――。あの日を思えば、思う存分に野球ができる今、心から幸せを感じている。
24日に行われたDeNAとの「SMBC日本シリーズ2026」の第1戦(横浜スタジアム)。庄子は「8番・遊撃」でスタメンに名を連ねた。0-0で迎えた7回無死二、三塁。庄子の痛烈な打球は二塁手の牧に好捕されたものの、その間に三走が生還。貴重な先制点をもたらした。5回には中前打を放ち、二盗もマーク。日本シリーズで「初安打、初盗塁、初打点」を記録するなど、大舞台で見事に躍動してみせた。
最大の見せ場は延長11回に訪れた。1死一、二塁のチャンスで、相対したのは右腕の馬場。外角の直球にバットを伸ばすと、打球は横浜高時代に同期だった左翼手・度会の頭上を越えていった。決勝の適時二塁打。いつもはクールな男が、ホークスベンチに向かって何度もガッツポーズを繰り返した。
「最高です。気づいたら打っていて、気づいたら二塁にいたという感じでした。芯で捉えたので、なんとか越えてくれと思いながら走っていました」
横浜高、神奈川大を経てホークスに入団した24歳。華々しいステップアップを遂げてきたように見えるが、その道のりは決して平坦なものではなかった。青春時代は自分自身の夢も失われ、仲間たちと野球をすることさえ許されなかった。クールな男が超満員の横浜スタジアムで雄叫びをあげた理由、その裏側にあった6年越しのドラマに迫る――。
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この先で分かる3つのこと
憧れのユニホーム…庄子雄大が横浜高進学を決めた瞬間とは
甲子園中止の絶望…庄子雄大が支えにした恩師の言葉
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憧れた横浜高のユニホーム「勝負して甲子園へ」
横浜で生まれ育った野球少年が、誰もが知る名門校に惹かれたのは極めて自然なことだった。中学時代は中本牧リトルシニアで腕を磨き、県内の強豪校から熱心な誘いをいくつも受けていた。それでも庄子の心に最後まで残ったのは、憧れだった。「YOKOHAMA」のユニホームを着て野球がしたいと、決意を固めていた。
「レギュラーが取れるか取れないかは別にして、そこでしっかりと勝負して甲子園にいきたいな、と。『横浜のユニホームが着たい』と思ったのが決め手になりました。自慢したいわけじゃないんですけど、シンプルにカッコいいじゃないですか。中学のチームからのつながりもありましたし、自分も高校野球をやるからには甲子園を目指して強いところでやりたいと思っていたので」
進路とは人生の分かれ道。家族から「こうしなさい」と言われたことは1度もない。いつも自由に、自分の思いを尊重してくれた。「行きたいところに行って、やりたいようにやるのが一番いいよ」。優しい言葉に背中を押されて、最後は自らの意思で名門の門を叩いた。「『ここでやる』という最終的な決断は、僕がしたと思います」。覚悟を決めた瞬間は、今も庄子の胸に色濃く刻まれている。
高校球児なら、誰しもが抱く聖地への憧れ。神奈川は全国屈指の激戦区だ。ただ甲子園の土を踏むだけではない。庄子は「横浜高の一員としてグラウンドに立つ」ことに、価値を感じていた。
「当時なら『横浜か、東海大相模か』という2強だったので。戦っていても、どのチームも自分たちを全力で倒しにくるというのは感じていましたし、そういった中でプレーができたのはすごくいい経験になりました。あそこ(中学時代)で勝負すると決めて、横浜高校を選んだのは本当によかったですね」
2年の春に初めて甲子園に出場。初戦で大分・明豊高に敗れたものの、庄子も三塁手としてスタメン出場していた。もう1度、ここに帰ってくる――。そんな決意を胸に、日々練習に励んでいた。
コロナ禍で野球部の活動も停止「もどかしかった」
順風満帆な野球人生。しかし3年生になった2020年春、たった一瞬で世界は一変してしまった。
新型コロナウイルスの大流行。野球部の活動も数か月にわたって完全に停止した。「3か月、4か月くらいは(全体の)練習ができなかったです。それまで毎日激しい運動をしてたので、なんか気持ち悪いというか、変な感じでした。練習が再開しても長時間、同じグラウンドにいられなかったりもしたので。本当にもどかしかったです」。文化祭などの学校行事もなくなり、当たり前だった日常から“すべて”が奪われてしまった。
そして突きつけられたのは、夏の甲子園大会も中止という残酷な現実。その後、神奈川県の独自大会は開催されたが、仲間たちともう1度聖地を踏むことはできなかった。目標を見失いかけた瞬間。それでも庄子は、下を向かなかった。
「甲子園がなくなって落ち込んだりはしましたけど、自分には先がある。『もうどうでもいいや』みたいな思いはなかったですね。自分はもともと、高卒でプロというのはあまり考えていなくて、大学の4年間でしっかり勝負しようと思っていた。村田(浩明)監督からも『人生、うまくいくことばかりじゃない』と言われていたんですけど、本当にその通りだなと。練習をしなくなるのは、いけない。自粛期間でも家でできることを探したり……。諦めないというのはすごく大事だなと思いました」
自宅で繰り返した素振りやランニング。近所の公園で、父親とキャッチボールもした。「あまり距離感もなかったので、すごく近い距離でやっていたんですけど。練習環境も限られていて、それくらいしかできなかったので」。深く刻み込んだ「諦めない心」は、日本シリーズで躍動する今の姿にも重なる。
24歳になった今、ホークスのユニホームを着て横浜スタジアムのグラウンドに立っている。日本シリーズ初戦、球場を埋めたのは3万3388人の大観衆だった。「地元でこういう活躍ができるのは、縁を感じます。大変嬉しいことですし、引き続き明日も頑張りたいなと思います」。野球ができることは、本当にありがたい。庄子雄大の夢はもう、誰にも奪われることはない。
(竹村岳 / Gaku Takemura)