8月22日の1軍再昇格…その前日に残した1145字の言葉
9月27日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)は、中村晃内野手の「引退試合」として行われる。ホークス一筋19年、ファンに希望を与えてきた「愛する男」は、どんな姿を見せるのか。言葉で引っ張るのは苦手だった。だからこそ誰よりも走り、誰よりも準備し、その背中でホークスの伝統を示し続けてきた。不器用だった背番号7が1軍に再昇格する前、後輩のためだけに残した“1145文字のラストメッセージ”――。そこには、プロとして貫き通した流儀がぎゅっと詰まっていた。
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数々の指導者に支えられて、中村晃は今ここにいる。バリバリの主力になり、少しずつ後輩も増えてきた頃。“人生の恩師”である鳥越裕介氏(現西武ヘッドコーチ)に相談をすると、こう言われたことがある。「もっと言わないと。言えないというのはダメだよ」。結果と姿で示してきた背番号7。その答えは、やはり不器用だった。
「でも、言えないんです」――。
多くのサポートに感謝し、己の力で道を切り開いてきた。自分も見てきた先輩たちの背中。受け継いでいくのがホークスの伝統だと理解していても、言葉で示すのは得意ではなかった。「言えないなら、自分が率先して見せるしかない。それを言葉にして言えないのは、ダメなことだぞ」。真正面から接してくれた鳥越コーチの教えは、今も胸に刻まれている。
プロ19年目で迎える“ラストゲーム”。中村晃は、最後に何を語るのか。
今年2月の春季キャンプ、背番号7はタマスタ筑後にいた。腰の手術を受けてから3か月。室内練習場で明らかにハイペースで打ち込む中村晃の姿を、トレーナーが心配そうに見守っていた。その視線を感じつつも、覚悟が宿る口調に迷いはない。
「そりゃ、やるよね。怪我をしてもしなくても、ダメなら辞めるしかない。後悔したくないんだから」
現役引退――。その言葉を明確に意識して、19年目のシーズンは始まっていた。
開幕してからは思うような結果を残せず、6月9日に出場選手登録を抹消された。打率.129と苦しみ、2軍降格を決断した時点で現役引退の意思は固めていた。2か月半にわたる2軍生活は、後輩から「背中を見られている」という強烈な自覚を抱いた日々でもあった。
待望の1軍再昇格を果たしたのは、8月22日。その直前、中村晃は球団専用のアプリを通して「25歳以下の若鷹」に1145文字にもわたる“メッセージ”を残していた。
「おそらく選手としてみんなに話すことは、これが最後になる可能性が高いので、今日は2か月半ほどファームで過ごして感じたことを伝えたいと思います」
画面に映ったのは、甘えを許さない静かな問いかけ。言葉で引っ張るのが苦手だった男は、なぜ去り際に言葉を残そうとしたのか。19年間で背番号7が辿り着いたプロの境地――。
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この先で分かる3つのこと
1145字のメッセージ…中村晃が若鷹へ託した「最後の言葉」
2年前とは違う…中村晃が後輩を食事に誘っていた理由
準備と姿勢…19年間貫いてきたプロとしての美学
後輩たちへ「一度、自分自身に問いかけてみてください」
8月18日から、2軍はほっともっとフィールド神戸でオリックス3連戦に臨んでいた。1軍昇格が決まった中村晃は、鈴木駿介マネジャーに1つのお願いをした。
「伝えたいことがあるんです」
“現役選手”として、そしてチームメートとして言葉を残せる最後のチャンス。神戸遠征の3日間をかけて、自らの思いをスマートフォンに打ち込んでいった。何度も画面をスクロールしては、文章を読み返した。
ホークスには、選手やスタッフが常用する「アプリ」がある。普段ならスケジュールの周知などで用いられるものだが、その「お知らせ機能」を使って、若鷹たちにメッセージを残そうとした。鈴木マネジャーは首脳陣、コーディネーター、球団フロントにすぐさま確認。快諾を得て、育成選手も含めた「25歳以下で1軍登録されていない選手」、約60人に中村晃の1145字が届けられた。
背番号7が1軍に再昇格する前日の21日。若鷹たちのスマートフォンが鳴ったのは午後7時58分だった。“ラストメッセージ”に記されていたのは、決して特別なことばかりではなかった。
ウォーミングアップのダッシュで、最後のコーンまで走り切ること。練習から試合と同じような動きをして、声を出すこと。気分が乗らない日でも、攻守交代ではポジションまでしっかりと走ること。フライを打ち上げても、振り逃げの場面でも、全力で走り切ること。「今日の試合」に、最善の準備をし続けること。
たくさんの先輩たちから受け継がれ、36歳になった今、中村晃が“体現”していることばかりだった。
「みんなに伝えたいことは、きついこと、面倒くさいこと、そして一生懸命になることから目を背けず、向き合ってほしいということです」
「自分自身に対して『もっとできる』と期待してください。自分に期待して、自分自身を厳しく評価できる人間になってほしいと思います」
「一生懸命やった結果、間違えることもあるし、失敗することもあります。でも、失敗した人よりも、一生懸命になれなかった人の方が、成長するチャンスを失っていると私は思います」
「照れがあったり、格好つけたりして、楽をして逃げている自分はいないか。一度、自分自身に問いかけてみてください」
誰よりも理解できる若手の気持ち…胸に刻む大切な言葉
なぜこのタイミングで、後輩のために言葉を残そうとしたのか。その真意を自らの口で明かした。
「そのままじゃないですか? 選手として伝えられるチャンスは最後だと思ったので。この先、コーチやまた別の立場になったりしたらなかなか言えないことも増えてくる。伝えるべきかなと思ったことは、伝えた方がいいかなと。2軍にいれば、思い通りにならないこともあるだろうし。年を重ねると、ちょっと格好をつけたりとかすることもある。『しっかりとやらないといけないよ』と、そういうメッセージのつもりでした」
鳥越コーチから授かった教えの中で、胸に刻み込んでいる言葉がある。
「野球に差別する人は、野球に差別される」――。
中村晃自身、レギュラー定着前には1年間の間で何度も2軍降格を味わった。悔しさを経験していくうちに学んだのは、どんな環境でも自らのプレーを変えてはいけないということ。「1軍ではやるようなことを、2軍ではやらない」。そんな姿勢では、絶対に一流のプレーヤーにはなれない。“人生の恩師”はまた、大切なことを気づかせてくれた。
だからこそ、ファームでくすぶる若手の気持ちが誰よりも理解できる。
「“1軍に行って変わる選手”というのは正直、見ていてもわかる。2軍に行って気が抜けるじゃないですけど、そういうふうに見える選手もいた。自分の経験としてもそうやって注意をされてきたし。それじゃ、なかなか1軍に行っても活躍できないなと思ったので。全体を通して、何かを伝えられたらいいなと思って(あのメッセージを送った)という感じです」
凡打でも全力疾走…自ら体現したプロの流儀
自らに対する妥協を絶対に許さず、積み上げた安打は1521本。しかし、36歳になった今シーズン、1軍ではわずか5安打に終わった。2軍で過ごした2か月半。バッター有利のカウントでストレート1本に狙いを絞っても、150キロの直球に詰まらされることもあった。
6月28日のオイシックス戦(タマスタ筑後)では、9回に逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。147キロを一閃し、準備の結晶とも言える放物線が右翼ネットを揺らした。歓喜に導いた一振りだったが、本人は“結果オーライ”を許さない。
「あれも、途中出場からの2打席目だった。代打として勝負するなら、1打席目の初球を捉えないと」
引退の意思を固めていても、“基準”はいつも1軍。技術的な変化に、全力で抗った1年間でもあった。
葛藤を抱いていても、グラウンド上でのプレーは絶対に変えない。8月4日の楽天戦(楽天モバイル最強パーク)、3回2死一、三塁のチャンスで打席が回ってきた。マウンドにいるのは、前田健太。痛烈なピッチャー返しを右腕が右足で止めると、一塁へのふわっとした送球がわずかに横へと逸れた。一切手を抜くことなく、全力疾走していた。セーフを勝ち取り、1点差に詰め寄る適時失策となった。チームの逆転勝利につながったのだから、価値ある一打だった。
どんな時も、一塁まで全力で走る。誰にでもできることであり、中村晃が19年間、貫いた流儀でもある。それが平凡な投ゴロであっても、だ。「普通のことですよね。自分がやることをやっていなかったら『やっていないじゃないですか』となる。それはよくないので」。
2年前の2024年、背部痛で登録を抹消され、1か月間、2軍生活を送った。胸に渦巻いた感情はただ一つ。「ここにいてはいけない」――。プロを舞台として戦う以上、プレーヤーとしてこの環境に慣れてはいけないと感じた。自分はただ、野球に対して誠実に向き合うだけ。若鷹たちに、手を差し伸べようとは思いもしなかった。
2つ年を重ねた2026年、2か月半の間に何度も後輩を食事に誘った。年下の選手に対して、目線を合わせているのは明らかだった。「それは意識していましたね。自分の“次のステージ”のことも考えるし、知らない選手が多いので。自分から話をしてみるのは心掛けていました」。グラウンドの内外で、若鷹のために“何か”を残そうと努力してきた。かつて不器用だった男は、言葉と行動の両方で背中を見せられる偉大なプレーヤーとなった。
77人の言葉から浮かび上がった2つの言葉
中村晃がユニホームを脱ぐ。現役選手、首脳陣ら総勢77人から“贈る言葉”をもらうと、もっとも多く出てきた言葉は「準備」と「姿勢」だった。まさに背番号7を象徴する2つのワード。19年間の道のりを振り返り、プロとして貫いてきたものとは――。
「毎日、結果が出るかという不安と闘いながらやってきた。不安だから準備をするし、失敗しないように準備をする。それは自分のためだけじゃなくて、他の人たちの人生にも関わってくることなので。しっかり準備してきたのかなと思います」
2026年9月27日、新たな扉を開いてきた19年の旅路はここで終わりを告げる。準備を貫く姿は、本当に美しかった。1145字のメッセージは、こう締めくくられている。「またみんなに会える日を楽しみにしています」。ホークスのために“全て”を捧げてくれた。愛する男、中村晃。
(竹村岳 / Gaku Takemura)