2月27日…小久保監督から託された2枚の手紙
ホークスは福岡移転後、初となるパ・リーグ3連覇を成し遂げました。開幕投手を務めた上沢直之投手が、鷹フルの単独インタビューで明かしたのは“エースの孤独”でした。「大役」を告げられた際に小久保裕紀監督から受け取った手紙の内容を明かさなかった真意。気持ちが折れそうになった1本のホームラン……。右腕が過ごした濃密な1年間に迫ります。貫いた矜持は「周りに見られても恥ずかしくない姿でいたい」――。
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2年連続で最多勝を獲得した有原航平投手が昨オフに日本ハムへ移籍し、リバン・モイネロ投手は3月に開催されたWBCの影響で開幕に間に合わない見通しが強かった。先発陣の整備が最大の焦点だった春季キャンプ。上沢が監督室に呼ばれたのは2月27日の出来事だった。移籍2年目で託された開幕投手。右腕は「わかりました」と深く頷いた。
この時、小久保監督から手渡されたのは2枚の便箋だった。翌28日、取材対応した上沢はその内容について、こう話していた。
「本当に監督らしいというか、胸にグッとくる言葉が書いてありました。それをずっと意識しながらシーズンを戦いたいですし、終わった時にいい成績を残して発表できるように。『こういう言葉を胸に秘めてやっていました』と言えるような日がくればいいなと思うので。1年間を送るにあたって『すごくいい言葉だな』と感じました」
2月の“誓い”から季節は巡り、チームは悲願のリーグ3連覇を成し遂げた。ついに手紙の内容を明かす時が来たのか――。しかし、上沢は最後まで口を閉ざした。指揮官のメッセージを胸に秘めたまま、口外しなかった真意。そこにはエースの“プライド”があった。
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この先で分かる3つのこと
手紙の内容を明かさぬ理由…上沢直之が胸に秘めた覚悟とは
膝をついた被弾…上沢直之が苦悩の末に決断した離脱の真実
腕の角度を下げる決断…上沢直之が東京ドームで見せた再起
春先の試練…マウンドで曝け出してしまった“苦悩”
「言える成績じゃないのかなと思います。理想、目標にしていた数字には全然届いていないので。何一つ、納得はできていないです。野球選手は試合に出るのが仕事。途中の離脱が僕の中では痛かったです。健康で投げることが一番大事だと思うし、それが一番監督にとっても計算しやすい。それができなかったのは悔しいです。しかも外傷ではなくて、僕の身体の中で起きた怪我なので」
右肘のコンディション不良を理由に、5月17日に登録を抹消された右腕。1か月を超える離脱は、上沢自身にとって許せないものだった。一方で「いただいた手紙に書いてあった内容通りにはできていると思います。結果どうこうではなくて、そういう気持ちで常にやっていました」。自身の成績に左右されることなく、指揮官から受け取った思いを忘れることだけはなかった。
ギリギリの状態で戦ってきた春先。気持ちが折れそうになったのが、5月15日の楽天戦(楽天モバイル最強パーク)だ。3回4失点で2敗目を喫し、チームの貯金は今季初めて「0」になった。「なんとかしたい」という思いでマウンドに上がった上沢の右肘は、限界を迎えていた。
「前日くらいからおかしいのは感じていた。投げてみて、最初の方は『いけるかもしれない』と思ったんですけど、だんだん思うように投げられない感じが続いたので。あそこでホームランを打たれたのは、自分にとってもガクッときましたね。その時はチームの状況もよくなかった。僕がしっかり投げないといけなかったし、いろんな気持ちがありましたね」
どんな時も毅然とした姿を貫いてきた右腕だが、2回に佐藤直樹に3ランを浴びると、マウンド上で膝に手をついてしまった。それは、一瞬だけさらけ出してしまった“苦悩”そのもの。翌日に病院で受診し、2日後の17日に登録抹消。リハビリ組での再調整が決まった。「降板した時に、もう投げられるレベルじゃない感じはしていた。『これは危ない』と思って、(首脳陣と)話し合って決めました。早めに休めば、最後にはいけるかもしれなかったので」。
東京ドームで見せた再起の証明…腕の角度に込めた“覚悟”
リハビリ生活に突入しても、投げるたびに肘には違和感が残った。これまでと「同じ投げ方」を押し通せば、再び患部が悲鳴をあげるのは明白だった。「今までやっていたようにやると痛みが出たりする。今の体の状況で、痛みが出ない投げ方を覚えていく方が早かったですね」。現実を受け入れて踏み切ったのは、投球フォームのわずかなモデルチェンジだ。
試行錯誤の末に行き着いたのは、腕の角度を少し下げたフォーム。登板を重ねるごとに球速は上がり、スライダーという新たな武器にも確実に手応えを感じていた。「体がもう、今の肘の状況に慣れてきている。気持ちよく投げられるのが、今はこの角度なのかなと思います」。37日間のリハビリを終えて、1軍に再昇格。右腕がターニングポイントと認めたのが、6月30日の西武戦(東京ドーム)だった。
「あそこで勝てたのはよかったです。相手も西武で、ピッチャーも平良だったので。あの試合は僕の中でも大きかったです」
その1週間前、23日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)で復帰登板を迎えたが、5回3失点で黒星を喫していた。上位を争う西武、しかも相手先発は球界屈指のエースだった。自らのプライドをかけた東京ドームでの一戦。自らの存在を証明するような白星を掴んでみせた。
「隙を見せない」指揮官と「態度を変えない」エースの美学
上沢が抱くエースの矜持。それはどんな時も「絶対に態度を変えない」ことだ。「そこは意識していますし、いい時も悪い時も変わらず、同じようにできたと思います」。1か月以上も戦線を離脱しながらも、上位争いを演じてくれたチームメートへの感謝は尽きない。
先発ローテーションを支えたのは、大津亮介投手を筆頭に前田悠伍投手、松本晴投手ら若手ばかりだった。「すごいんですけど、あれだけいい投手が出てきたらね。僕も33歳になるので、彼らに負ければ登板機会が減る。負けないように頑張らないと」。そう語る言葉には、傲慢さなど微塵もない。投手陣が一丸となって掴み取った3連覇。その意味を誰よりも深く理解しているのが、上沢自身だ。
数々の指導者から受けた影響で、今の自分が作り上げられた。アメリカで過ごした1年を除けば、小久保監督はNPBで出会った3人目の「監督」。態度を変えないエースと、一切の隙をも見せない指揮官。チームが勝つために、プロとして全力を尽くす。2人の男の美学は、どこまでもピッタリと重なり合っていた。
「小久保さんくらい(の時代)から、強いホークスを作り上げてきたと思います。全員が勝負に徹していると思うんですけど、一番上に立っている人だから常に表情を崩さない。トップの人間が隙を見せないように、意識されているのは感じますね。投手なら、例えばベースカバー。当たり前のことなんですけど、いい勝ち方をしても細かいところを詰めていくのがホークスの野球だと思います」
開幕投手から始まった2026年。悔しい離脱も味わい、手紙の内容を明かすことはなかった。エースとは何か、自分はどうあるべきか――。考えさせられた1年間の結末は、悲願の3連覇だった。上沢は凛とした眼差しで胸を張る。
「難しかったですけど、結果がどうであれ、戦う姿勢というところでは常に周りに見られても恥ずかしくない姿でいたいと思っていました。周りの人がどう思うかわからないですけど、そういう気持ちは常に持っていたかなと思います」
小久保監督からもらった“言葉”を、いつか胸を張って言える日が必ず来る。エースとして貫き続けた上沢直之の背中は、本当に誇らしかった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)