2年前、中村晃に“許された夜” 聞かされていた引退の選択肢…ビールかけ直後の誘い「悪いことも書けばいい」

  • 記者:竹村岳
    2026.07.03
  • 1軍
今季限りでの現役引退を決意した中村晃【写真:竹村岳】
今季限りでの現役引退を決意した中村晃【写真:竹村岳】

中村晃から食事の誘い「今日は仕事長いでしょ?」

 ソフトバンクの中村晃内野手が今季限りで現役を引退することが3日、発表された。ホークス一筋19年、通算1520安打を放ったヒットマンが下した決断。ホークス担当として7年間取材してきた筆者が今も忘れられないのは、背番号7に“謝罪”した出来事だ。想像を遥かに超えた反響、許してくれたベテランの“言葉”――。これが「愛する男」の素顔。

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 興奮が冷めやらぬ夜。店の扉を開けると、グラスを傾けた中村晃が待っていた。食事をするのは初めて。緊張もあり、状況が理解できないまま隣のカウンター席に腰を下ろした。2年前、時計の針は2024年10月18日に遡る。

 この日、ホークスはクライマックスシリーズで日本ハムに3連勝を飾り、4年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。ビールかけの余韻が残る中、午後9時59分に背番号7から連絡が来た。「今日は仕事長いでしょ?」。食事の誘いだった。指定された居酒屋に向かい、初めてじっくりと語り合った日。中村晃に心から謝罪した。

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この先で分かる3つのこと

忘れることのできない中村晃への“謝罪”
憧れのスターの前では野球少年に戻る素顔
FA権を保有したまま引退…19年間貫いた美学

日本S進出を決めた夜…中村晃と交わしたグラス

 2024年シーズン、山川穂高内野手の加入もあり背番号7は厳しい立場に置かれていた。101試合に出場して打率.221に終わった。代打が主戦場になったが、特にシーズン序盤は成績も低迷していた。終盤戦に快音を重ねたが、ファンからの叱咤激励は中村晃の耳にも届いており、本気で現役引退を考えるほどに苦しい1年間だった。

 レギュラーシーズンが終わった10月7日、中村晃は単独取材に応じてくれた。ボイスメモを回したのは31分29秒。全5回にわたるロングインタビューで、中でも「現役を辞めればいいの?」との見出しを取った原稿は、ファンからさまざまな反響を呼んだ。筆者の想像を遥かに超えるほど、賛否の「否」の声も大きかった。自分が書かなければ、ネガティブな声を生むことはなかった。もっと上手く書いていれば、中村晃を傷つけることもなかったのでは――。

 カウンターに座り、日本酒やハイボールを嗜んでいた中村晃に、意を決して謝罪の言葉を口にした。「あそこまでの反響は、僕も想像できていなかったです。話してくれたことを書く以上、そこまで想定して準備しておかないといけなかったのに……。本当にすみません」。どんな言葉も覚悟していた。だが、返ってきたのは意外な反応だった。

「あの時は『聞かれたことに答える』というよりも、自分が言いたいことをはっきりと言ったから。いいことはもちろん、悪いことも含めてこれから書いていけばいいと思う。しっかりと見ていさえすれば、遠慮はいらないんじゃないかな」

 その後は、他愛もない話に花が咲いた。埼玉県朝霞市出身の中村晃は幼少からベルーナドームに何度も通い、遊撃を守る背番号7に憧れた。西武の一時代を彩ったスーパースター、松井稼頭央氏だ。自身がプロ入りを果たし、初出場を果たしたのは2011年5月3日の楽天戦。当時現役だった小久保裕紀監督の代走として二塁に向かうと、思わぬ光景が広がっていた。「ショートを守っていたのが稼頭央さんだった。自分の初出場よりも、それに緊張したよね」。一生に一度、プロ野球選手としての一歩目を踏み出した日だ。

 2015年からは西武時代に108勝を挙げた松坂大輔氏とチームメートになった。偉大な右腕がホークスに溶け込んでいく中で、「僕はもう全然話せなかった。声をかけられる人を見ながら、すごいなと思っていた」。前年の2014年には最多安打のタイトルを獲得。主力選手としての地位を確立しても、純粋な気持ちは忘れなかった。憧れた存在の前では、緊張もする。グラウンド上では見せない素顔だった。そんな“野球少年”は妥協なき準備を重ね、絶対に欠かせないチームリーダーへと成長を遂げた。

7月1日、2軍の全体練習に参加した中村晃【写真:竹村岳】
7月1日、2軍の全体練習に参加した中村晃【写真:竹村岳】

FA権を保有したまま現役引退を表明

 時は流れ、36歳となった今シーズンも再び壁に直面した。打率.129と苦しみ、6月10日から2軍に合流。その姿には、明らかな変化が見て取れた。

 2年前の2024年8月12日、背中を痛めたことで登録を抹消され、ファーム調整は約1か月に及んだ。若鷹と汗を流す中で感じ取った2軍の雰囲気。それは“慣れ”だった。後輩からガツガツとした空気は感じられず、当時34歳だったベテランは「ここにいちゃいけない」と口にした。再昇格を果たしたのは9月7日。小久保監督から授かっていた「覚悟ができたら言って来い」という言葉。それを信じ、「いけます」と1軍復帰を自ら伝えていた。

 月日を経て迎えた2026年、再び2軍で調整することになった背番号7。主力選手は免除されているはずの試合前ミーティングに参加し、ベンチに入ればゲームセットまで展開を見守った。かつては「ここにいちゃいけない」とすら感じた後輩たちに、自ら溶け込もうとした1か月間。7月1日の全体練習では、首脳陣に深々と頭を下げ、握手を交わすシーンもあった。今思えば、そんな姿も少しずつ気持ちが傾いていた証だったのかもしれない。

 2年前、確かに脳裏をよぎった現役引退。ついに決断を下す時が来た。今もFA権は保有したまま、19年間身にまとってきたユニホームを脱ぐ。「強いチームでレギュラーになりたい」。最後まで貫いた美学は、中村晃がホークスを愛した証だった。

「強いチームの第一線でプレーをすることを、僕は目標にしてやってきた。『このチームじゃレギュラーを取れないから他のチームに行きたい』という選手も昔はいましたし、そういう話も聞いていました。でもせっかくドラフトで指名されて、ホークスに入ったので。このチームでレギュラーを取って、いい野球人生にしたかった。だから今も、その時と同じ気持ちですよ」

 いくつもの新たな扉を開き、挑戦を重ねてきた。背番号7が、静かにバットを置く。最後の最後まで、中村晃は“愛する男”だった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)