最速は154キロ…高卒2年目右腕の津嘉山憲志郎
ホークスの将来を背負う育成選手に焦点を当てた新コーナー「未来の推し鷹」。今回は津嘉山憲志郎投手の登場です。高校2年の11月に受けた右肘のトミー・ジョン手術。なぜアマチュア時代から、復帰まで1年以上を要する大手術を受けることを決断できたのか。そして首脳陣が絶賛したのは、19歳の右腕が秘める“強心臓”でした。「こいつ、カッコいいな」――。
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沖縄市出身の右腕は7人兄妹の6人目、5男として育った。兄の影響を受けて始めた野球。食卓には、大皿が並ぶのが日常だった。「どれくらいとかはわからないですけど、とにかく米をたくさん炊いていましたね。兄たちも、体が大きかったので」。自身もたくましく育ち、中学時代には最速148キロを計測していたという。「確認のしようがないので、わからないですけどね」と笑ったが、スケール感は当時から大きかった。
中学を卒業すると、故郷を離れて兵庫の神戸国際大付高に進学した。「(青木尚龍)監督さんが熱心に、沖縄まで声をかけにきてくれたんです。兄が高校、大学で県外に出ていたので、僕もおのずと『出ていくのかな』と思っていました。別に抵抗はなかったですね」。新しい生活に期待は膨らむ。耳に飛び込んでくるのは関西弁ばかりだったが、「逆に、意外と関西のノリの方が合っていましたね。僕もせっかちなので」。平然と言い切るところも、また“大物感”が漂う。
1年の夏からベンチ入りし、公式戦にも登板した。1回戦の御影高戦。8回からマウンドに上がると、2イニングで5三振を奪う最高のデビューを飾った。「緊張というよりも『やってやるぞ』という気持ちの方が強かったです。関西の高校も選手も、何も知らなかったので。そこが逆に、いい部分につながったんだと思います」。決勝の社高戦では6回からリリーフ登板。延長14回、タイブレークの末にチームは敗れたが、9イニングで123球を投げ、被安打4の力投を見せた。
誰もがエースの誕生を疑わなかった。右腕を悲劇が襲ったのは、2年の秋だ。津嘉山はなぜ、トミー・ジョン手術を受けることになったのか。自らの口で、その真相を語った。
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この先で分かる3つのこと
聞いたことがあった手術名…TJも「やってみてえな」
四球すらプラスに変えるプラス思考「都合がいいように」
7イニング14奪三振。154キロ右腕の圧倒的支配力
復帰まで1年以上も…トミー・ジョン手術を「やってみてえ」
「2年の夏が終わって、秋になってもそんなに調子が良くなかったんです。練習試合で投げている時に『なんか肘が痛いな』と思って、途中交代しました。そしたら肘がパンパンに腫れて。曲がらないし、伸びもしなくなってしまった。病院に行ったら『あ、これダメだわ』となって、手術した方がいいねという話になりました」
オフシーズンに入る前の11月、チームの三重遠征に帯同した。その最後の一戦で津嘉山はマウンドに上がったが、そこで限界を迎えた。「遠征先だから、病院もわからないじゃないですか。だからめちゃくちゃ痛かったんですけど、そのままバスで兵庫に戻って、病院に行ったのは次の日でした」。青木監督や、沖縄から足を運んでくれた両親とともにドクターのもとへ。診断結果こそショッキングだったが、右腕の胸はまた期待に膨らんでいた。
「三重で投げていた時も、今までの痛みとは違ったんですよ。『なんかあるんだな』とは思っていました。レントゲンとか画像を初めて見たんですけど、自分じゃわからないじゃないですか。別の先生のところにも行って、2つの病院で受診したんですけど、どっちも『これは手術した方がいいね』と言われました。だけど『嫌だな』という気持ちはなくて、トミー・ジョンっていう聞いたことがあるものに対して『やってみてえな』という自分がいましたね」
手術を受けたのが11月2日。「麻酔がかかって寝るじゃないですか。起きたらもう終わっていたので、ワープした感じです」。復帰まで1年以上。津嘉山の高校野球は、そこで終わった。しかし、キャプテンだった右腕は3年夏でも背番号1を与えられ、ベンチ入り。チームは準々決勝で敗れ「もちろん投げたかったんですけど、なんだかあっさり終わりましたね。泣けなかったです」。青春が幕を下ろした瞬間だった。
4月29日に2軍デビュー…首脳陣を驚かせたマウンドでの一言
2024年に行われたドラフト会議でホークスに育成7位指名され、プロの世界に飛び込んだ。入団後も長いリハビリが待っていたが、今年3月に実戦復帰を果たすと、最速は154キロにまで伸びていた。4月29日、ファーム・リーグのロッテ戦(タマスタ筑後)では2軍戦初登板を果たし、1回無失点に抑えた。津嘉山の“強心臓”に首脳陣が驚いたのも、この試合だ。
同点の9回から登板すると、1死二塁で安田に四球を与えてピンチが広がった。たまらずマウンドに向かった小笠原孝2軍投手コーチ(チーフ)に対し、19歳の右腕ははっきりと言い切った。「カウントが悪くなったので(安田を)歩かせました」。試合後に交わされたやり取りには、より深い真相が隠されていた。
「『本当はどうだったの?』と聞いたんです。そしたら津嘉山は『自分にとって都合がいいように考えました』と言ったんですよね。普通ならフォアボールを出したら、誰でも後ろ向きになるじゃないですか。『いいや、いいやと思った』と言うので、こいつカッコいいなと思いましたね。僕が高卒だったらそんな考えは絶対にできないし、これだけ野球を見てきて、そんな子はなかなかいなかったです。他の選手にも参考にしてもらいたいくらいですね」
あくまでも主導権を握っているのは自分自身。「自分から歩かせた」という若鷹らしからぬ思考を、小笠原コーチは頼もしく感じた。29日の登板は後続を打ち取り、結果的には無失点。最後は1軍でも実績のある岡を空振り三振に仕留めてみせた。数々の苦難を経て、手に入れた強心臓。その姿に、首脳陣もファンもきっと期待したくなる。
2軍戦ではその1試合の登板にとどまっているが、ファーム非公式戦では7試合に登板して防御率0.00。7イニングで14奪三振と、圧倒的な結果を見せつけている。「ここから頑張っていきたいです」。“スーパー高校1年生”がトミー・ジョン手術を経て、154キロ右腕になって帰ってきた。津嘉山憲志郎の投球に注目だ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)