藤原大翔が支配下登録…2軍では6試合に登板して防御率2.28
プロに入る前から掲げていた“3年計画”がついに結実した。ソフトバンクは8日、育成選手だった藤原大翔投手を支配下選手登録することを発表した。プロ入り3年目にしてようやく掴んだ2桁の背番号。20歳の右腕が明かしていたのは、目標に向かって真っすぐ突っ走ってきた自分自身の足跡だった。
藤原といえば、3月のファーム・リーグ開幕戦で“開幕投手”を託されるなど、キャンプ中から大きな期待を寄せられていた有望株だ。福岡・行橋市出身で、飯塚高で本格的に投手のキャリアを歩み始めたが、甲子園出場はならず。2023年育成ドラフト6位指名を受けてホークスに入団した、前田悠伍投手と同じ2005年生まれの世代だ。
コツコツと時間をかけながら成長を遂げ、今では最速156キロを誇る剛腕へと変貌を遂げた右腕だが、実はプロ入り前から「3年目に支配下契約を勝ち取る」と思い描いていた。「目標は支配下を勝ち取り“勝てる”投手になることです」と宣言した2023年12月4日の入団会見から、この“3年計画”は始まった。その背景には、恩師から知らされていた“クビ”の可能性があった。
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この先で分かる3つのこと
高校の恩師から授かった“危機感”と逆算思考
プロ入り前から体重は13キロ増…欠かさなかった日課
“3年計画”を叶えた今…あらためて語った“3年後の目標”
育成は3年で自由契約に…きっかけとなった恩師の言葉
「入団会見の後くらいですかね。そんなに細かく決めていたわけではないんですけど、1年目は体作り、2年目は3軍や2軍で投げ始めて結果を残す。3年目に、キャンプからアピールして支配下に上がるというのをずっと目標にしていました。『今年はこれをクリアする』という目標が、シーズンごとにちゃんとあったので、僕もやりやすかったですし、順調に来ているなと思っていました」
育成選手は3年目を終えれば、自動的に自由契約となる。再契約を結ぶパターンもあるが、当然そのままユニホームを脱ぐ選手もいる厳しい世界だ。当時17歳で、まだ高校生だった藤原はこの制度について理解していなかった。自らが置かれる境遇を知ったのは、飯塚高の吉田幸彦監督の言葉がきっかけだった。
「『育成は3年が節目だから頑張れよ』と言われた記憶があるんです。そこで『あ、3年なんや』というのを知りました。結果を残せなかったらクビになるのはわかっていましたけど、その時は全然仕組みとかも知らなかったので。そこから入団会見を経て『3年目で支配下に上がる』というのを意識し始めました」
明確な目標は、行動を変えていく。「まずは怪我をしない体作りですね。最初は体重も62キロとかしかなくて、それじゃ1年間戦えないので」。3年間の体づくりに励み、体重は75キロにまで増加した。同じく日課として継続してきたのが、就寝前のストレッチ。高校時代に腰を痛めたことがあり「太ももやお尻、股関節は意識して伸ばしています。そこから腰に痛みが来るので」。プロ入り後、大きな離脱なくここまで過ごしてこられたのは、まさにこうした努力の賜物だった。
支配下登録を勝ち取った今…新たに見据える“3年後”
1年目はファーム非公式戦で23試合に、2年目は2軍戦で2試合に登板した。「その時はとにかくレベルを上げたかったので、正直、支配下とかは考えていなかったです」。“勝負”と位置づけていた3年目、藤原は決意を固め、また行動に出た。ほぼ面識のなかった上沢直之投手に、頭を下げて自主トレをお願いした。
「去年のシーズンが終わったくらいから、キャンプでアピールしないといけないのはわかっていたので。だから上沢さんと練習もさせてもらいましたし、去年の12月もジャイアンツの田中瑛斗さんと大分で一緒にやっていました」
一流選手の考えに間近で触れ、目指す投手像はさらに明確になっていった。育成選手たちによる激しい競争の渦中で「油断はできないです」と語っていたが、目標を見失うことなく、努力を続けてきた右腕に2桁が与えられるのは必然だったのかもしれない。
17歳の少年が、3年先の目標を見据える。口で言うほど、継続するのは簡単ではなかったはずだ。「僕はアホですし、目標とか立てられなかったんですけど、それだけは変わらなかったですね」。たくましくなった20歳の右腕が、支配下登録という新たな節目を迎えた。夢を叶えた今、藤原が語った“3年後”の目標とは――。
「1軍のローテーションに入って、上沢さんより勝ちたいです」
照れ笑いしながら、そう口にした。憧れの師匠を超えていく。どんな時も目標を見失わない藤原なら、また叶えられる気がする。
(竹村岳 / Gaku Takemura)