左翼のみの球場で…スカウトが驚いた“姿” 学校初のプロ入り、大橋令和の原点

育成4位の大橋令和【写真:竹村岳】
育成4位の大橋令和【写真:竹村岳】

新人連載・育成4位大橋…野球人生で経験した1度の挫折

 2025年ドラフトでホークスは支配下選手5人、育成選手8人を指名しました。鷹フルではチームの未来を担うルーキーズを紹介します。今回は、オイスカ浜松国際高から育成ドラフト4位で入団した大橋令和(れお)内野手。同校初のプロ野球選手――。「野球を辞めたい」という挫折を乗り越えてのプロ入りを果たしました。

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 小学3年の頃に野球を始め、夢中で白球を追いかけてきた。「練習するのがすごく楽しくて。『遊撃が一番ボールが飛んでくる』って思って、気がついたらずっと守っていました」。進学したオイスカ浜松国際高の野球部は、1学年約20人。外野が左翼方向のみの狭いグラウンド。打撃練習もネットに向かって打ち込む日々だった。同じメニューを地道に繰り返す基礎練習に没頭した。

“とにかく楽しく”という思いで野球を続けた。進学の決め手も「選手みんなが楽しそうに練習していたから」という純粋なものだった。しかし、約10年間の競技生活で、一度だけ笑顔が消えた“瞬間”があった。

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【続きを読むと分かる3つのこと】
挫折した大橋を救った、指揮官の「渾身の一言」
スカウトが目を疑った、驚きの「打撃の秘密」とは
激痛を隠して挑んだ、監督も知らない「夏の真実」

「左足首の腱脱臼の手術をして。野球を全くできない期間が3か月くらいあって、松葉杖で生活していました。野球が本当に好きだったので。何でみんながプレーしている中、自分はできないんだろうって」

 高2夏の静岡大会が始まる直前の練習試合。遊撃で浅いゴロを処理する際に足首へ激痛が走った。「その後、病院で検査をして腱脱臼ってわかったんですけど。試合に出たかったので監督にも言わずに、夏の大会はそのままサポーターを付けてプレーしていました」。痛みを隠して続けた静岡大会は2回戦で敗退した。10月頃に手術をすると約4か月のリハビリ生活が始まった。

「野球をできないことが本当に辛くて。手術の後くらいに監督へ『野球を辞めます』ってLINEを送りました。でも『親御さんも、周りの人もみんな応援してくれている。もう少し頑張ってみろよ。絶対に辞めんな』って言ってくれて。もう少し頑張ろうかなって思えました」

担当スカウトが驚いた姿「すげえな」

 3年春の3月に実戦復帰を果たすと、大橋の姿はスカウトの目に留まった。50メートル5秒9の快足、安定した遊撃守備は野球を始めた頃からピカイチだった。中でも担当の宮田善久アマスカウトを驚かせたのは、その技術だった。

「守備と走塁はもちろんなんですけど。普通、スカウトが来たら(アピールしようと)引っ張りの打球を打ちたがると思うんですけど、反対方向に打つんですよ。『すげえな』と思いました。プロでは守備から試合に入れるスペシャリストになれる選手だと思います」

 思い切りフルスイングができない狭いグラウンド。“不自由”な環境で重ねた反復練習――。「小中学生の頃はセンスでプレーしていた」と語るが、スカウトの目に止まったのは、地道な努力の結晶だった。目標に掲げるのは、遊撃手の名手・今宮健太内野手。「小さい頃から守備の動画を見ていました。自分もいつかゴールデングラブ賞を獲れる選手になりたい」と憧れの言葉を口にする。

 これまでは少人数の環境で切磋琢磨してきたが、巨大組織での競争が待っている。「まずは支配下に上がれるよう、しっかり練習したい」。令和の時代に開いた夢の扉ーー。トレードマークの笑顔を絶やさず、球界を代表する名手への階段を駆け上がる。

(森大樹 / Daiki Mori)