川村友斗の直感「仙台だ!」 感じた周囲の温かさ…向き合ったプロの“境界線”

タマスタ筑後で自主トレした川村友斗【写真:竹村岳】
タマスタ筑後で自主トレした川村友斗【写真:竹村岳】

仙台での自主トレを打ち上げてタマスタ筑後へ

 目を覚まし、直感で決めた。「仙台だ……!」。大学時代の4年間は今も胸に刻まれている。二人三脚の自主トレを終えて、タマスタ筑後に帰ってきた川村友斗外野手。その表情には充実感と、少しばかり不安の色が浮かんでいた。

 2025年は1軍で15試合出場に終わり、わずか1安打。5月の2軍戦では右手首を骨折した。「僕、全然野球やっていなかったですよね」。そう振り返るほど長かったリハビリ生活。プロ5年目を迎える今季が勝負の1年になることは、誰よりも理解している。「オフなので、バッティングとフィジカルをテーマに。そんなに寒くなかったので、練習はできたと思います」と頷いた。

 年末年始は地元の北海道に帰省。故郷で1週間を過ごし、自主トレ地となる仙台に移動した。なぜ、東北で鍛錬を積むことになったのか。意外な出来事が全ての始まりだった。

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続きの内容は

「仙台だ!」寝起きで電話した北海高同級生の正体
友達でありプロとしての関係、拭えなかった「距離感の正体」
自立への道、初の単独トレで最後に打ち明けた「正直な不安」

栗原陵矢から「もしかしたら自主トレできないかも」

 昨年1月は、栗原陵矢内野手と自主トレを行った。しかし、今季から選手会長を務める先輩は11月に腰を手術。先行きが不透明になったこともあり「早い段階から『手術するから、もしかしたら(一緒に)自主トレできないかもしれない』というのは言われていました。(西武の)仲田(慶介)と福岡大学でやることも考えていたんですけど……」。なかなか具体的な日程を決められずにいた、ある日の出来事。一瞬で決断した理由が、いかにも川村らしかった。

「昼寝をしていて、パっと起きて『仙台だ!』みたいな。本当に思いつきで、寝起きのまま高校の同級生に電話をしました。『話が固まってからにしてよ』って言われたんですけど、それはそうですよね。仙台の方にも『1人でやろうかなと思っているんです』って連絡をさせてもらって、もう1週間以内には全部決まりました。いろんな方が協力してくれたみたいで、ありがたかったです」

 仙台大時代に4年間を過ごした土地。“思いつき”で電話をかけたのは、北海高時代の同級生である井上雄喜さんだった。「柔道整復師と鍼灸の免許を持っていて、病院に働いているんですけど、詰めていったら『いいよ』ってなって。見てもらうことになりました」。練習施設、ホテル、レンタカーも川村が自ら手配した。「クリさんも少人数でやりたいと言っていたので、僕も1人でやってみたいと思ったんです。自分の力でどこまでできるのか」。プロ野球選手として自立したい――。昼寝から始まった仙台への道のりは、順調に決まっていった。

拭えなかった微妙な距離感…2人を変えた本心の対話

「そこは忖度なしで、ちゃんとしよう」

 井上さんとは高校時代のチームメート。いわば友達の関係だったが、対価を払い、お互いにプロとして仕事をする。そう誓い合ったはずだったが、「難しかったですね……」。微妙な距離感を拭うことができず、本心を打ち明けようと決心したという。

「練習以外の時間はプライベートですし、ご飯を食べている時とかはよかったんですけど。練習が始まってからも、心の奥底にある『友達』って気持ちを消せずにいたんですよね。2クール目の最初くらいに、思っていることを言おうと。『ちゃんとやってくれ』っていうのをお互いに話しました。彼(井上さん)も、僕がそんなにも“医療の人”として接してくれていると思わなかったみたいで。『申し訳なかった』って」

 結果が全てのプロ野球選手。周囲に求めるサポートも当然、細かいものになる。どこまで言えばいいのか、どんな伝え方をすればいいのか……。押しつければいいわけではない。もともとが友達だからこそ、明確な“正解”がわからなかった。自分なりに見つけた最善策が、腹を割って話す場を設けること。「それが結果的によかったですね」。人として何倍も成長して、川村は福岡に戻ってきた。

 初の単独自主トレ。時間が許す限り、ひたすらバットを振り込んできた。「自分が納得できるまで打って終われるし、その他のトレーニングもそんな感じだったので。しっかりできたんですけど、どれだけ練習すればいいのかもわからなくて。正直不安もありました」。“答え合わせ”は、2月の春季キャンプでするしかない。自分自身の可能性を信じて、全力で競争に挑む。

(竹村岳 / Gaku Takemura)