柳田悠岐の“プロ野球人生” 日本一から遠ざかった5年…絶対に喜ばせたかった人たち

柳田悠岐【写真:加治屋友輝】
柳田悠岐【写真:加治屋友輝】

貴重な同点2ラン「全員で勝ちに行く」

 最年長という立場から見た日本一の景色。頼もしくなった後輩たちを引っ張り、頂点へと導いた。柳田悠岐外野手が語った“プロ野球人生”。久々に味わった歓喜の瞬間に、5年間の軌跡を思い出した。

 30日に甲子園で行われた日本シリーズ第5戦。2点ビハインドの8回1死一塁、柳田に打席が回ってきた。マウンドには、レギュラーシーズンでNPB新記録となる50試合連続無失点を樹立した石井。150キロの直球を振り抜くと、打球は左翼ポール際に飛び込む起死回生の同点2ランとなった。「いいスイングができました。とにかくきょう決められるように、全員で勝ちにいく。それだけです」。試合中に広報を通じて送られてきたコメントからも、その興奮が伝わってきた。

 延長11回に及んだ熱戦を制し、ホークスが日本一の座に就いた。選手、そしてファンにとっても5年ぶりに訪れた歓喜の瞬間だ。2010年ドラフト2位でプロ入りした背番号9は、ルーキーイヤーの2011年を除き、2020年までに6度の日本一を経験している。頂点から遠ざかったこの“5年間”は、柳田にとってどのような時間だったのか。

紆余曲折の5年間…2022年からは主将に就任

「それまでは、本当に順調なプロ野球人生で来ていましたけど。そこからだんだん順調じゃなくなったので。(レギュラー)シーズンは良くなかったですけど、久々の日本一も取れましたし、その中でチームの力になれたので良かったと思います」

 藤本博史監督がチームを率いた2022年からの2年間は、キャプテンを務めた。同年の10月2日、ZOZOマリンスタジアムで行われたロッテ戦に敗れ、“あと1勝”でリーグ優勝を逃した際には、「そういう器じゃなかった」と責任を一身に背負った。ここ2年は故障による離脱も経験し、長期のリハビリも強いられた。まさに紆余曲折を経た5年間だった。

 今季は4月12日に右脛骨の骨挫傷で登録を抹消し、1軍復帰は9月22日までずれ込んだ。それでも、チームのために身を粉にして戦ったのは、喜ばせたい人たちがいたからだ。「筑後の皆さんにも喜んでいただかないとダメっていう責任があった。筑後のみんなも喜んでくれていると思います」。長いリハビリを支えてくれたスタッフのためにも、絶対に日本一を届けたかった。

「小久保監督になって何も貢献できていなかったので」

 日本ハムとのCSも含め、ポストシーズンでは全11試合にスタメン出場した。その中で柳田が語ったのは、日本シリーズ直前に離脱した中村晃外野手への思いだった。「自分もシーズン中にずっとはいなかった。今まで試合に出ていた選手がいる中で、自分が出るということには、それだけの責任もある。なんとかしたいなという気持ちでした」。グラウンドに立てるのは、多くの人の支えがあってこそ。1つ1つの言動から、感謝と責任感があふれ出ていた。

“無失点男”の石井から放った値千金の同点2ラン。試合後には「いいピッチャーなので、なかなか連打は厳しいと思うので。長打を打てたらいいな、という気持ちで打席に入りましたけど、うまくいきすぎました」と振り返った。3勝1敗と王手をかけて迎えた第5戦。ホークスにとってはまだ黒星が許される状況だったが「なんとかいい流れで来ていたので、その流れで決めたいなっていう気持ちでした」と語るように、この試合で頂点を掴み取るという強い意思があった。

 昨年オフに和田毅氏が現役を引退し、チーム最年長となった。周りにいる全員が後輩。頼もしすぎる背中をしっかりと見せ、ともに頂点へと駆け上がった。「小久保監督になって何も貢献できていなかったので。小久保さんを、日本一にできたのが嬉しいです」。2026年は7年契約の最終年。来年もまた、強いホークスをファンに見せてくれるに違いない。

(竹村岳 / Gaku Takemura)