柳町達が貫いた“プロの使命”「ここまで頑張っても…」 大関友久と風呂で誓い合ったこと

柳町達【写真:古川剛伊】
柳町達【写真:古川剛伊】

勝ち抜いたし烈な外野手争い

 ホークスが2年連続のリーグ優勝、そして5年ぶりとなる悲願の日本一を達成しました。鷹フルでは主力選手はもちろん、若手やスタッフにもスポットライトを当てながら、激闘のシーズンを振り返ります。今回登場するのは自身初となる最高出塁率のタイトルを獲得し、不動のレギュラーとしてチームを牽引した柳町達外野手です。明かしたのは、熾烈な競争を勝ち抜くための“哲学”。慢心も気負いもなく、“使命”と向き合い続けた男の言葉。「プロ野球選手として」――。

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 歓喜に沸くグラウンドで背番号32は力強く拳を握った。激しいプレッシャーと自身の立場――。様々なものが渦巻いたシーズンを乗り越え、掴み取った日本一。柳町達は、確かにその中心にいた。6年目の今季は自身初の打撃タイトルを獲得し、小久保裕紀監督に「外せない選手」と言わしめた28歳は、名実ともにチームになくてはならない存在として1年を駆け抜けた。

 思い返せば、春季キャンプから続いたハイレベルな外野手争い。その中で柳町はなぜ常に冷静に、そして淡々と結果を残し続けることができたのか。卓越した選球眼と勝負強い打撃は、いったいどこから生まれてくるのか。その答えは、柳町が貫き通した揺るぎない“流儀”にあった。
 
「僕自身そういう立場じゃないんで」

 何度もそう口にした。しかし、その謙虚な言葉の裏にはプロフェッショナルとしての自負と、チームを頂点へ導くための確固たる意志が秘められていた。同期の活躍も力に変え、自らの「できる範囲」を広げ続けてきた柳町の思考に迫る。

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続きの内容は

・柳町が明かす、開幕2軍でも揺るがなかった心境
・日本一を支えた、柳町の「徹底した準備」
・同期・大関との、勝利を呼んだ「意外な会話」

結果が出なくても「しょうがない」

「自分のできる範囲のことをしっかりやることが、プロ野球選手としての一番の使命だと思うので」

 最高出塁率のタイトルを獲得し、シーズン最終盤まで首位打者争いを演じた28歳は、今季も開幕1軍を逃した。昨季と同じような境遇に立たされたが、柳町の姿勢は一切ぶれなかった。「自分のベストパフォーマンスを披露するのが仕事。もう、それに尽きると思います」。置かれた現状に惑わされることなく、グラウンドで価値を示すことに集中した。

 2軍では打率.370をマークしていた。3月31日に近藤健介外野手の抹消に伴い1軍に昇格し、持ち前の打棒をいかんなく発揮した。「プレッシャーは、もう全員が持っているものだと思います。そこから逃げるとかじゃなく、ある意味で開き直りじゃないですけど。そればかりを考えていたら、動けなくなってしまうので」。のしかかった重圧をそう振り返る。シーズンを通して逃げることなく立ち向かい続けたからこそ、掴んだ頂点だ。その“開き直り”の根底にあるのが、徹底した準備だった。

「自分の出来る範囲の準備をしっかりやって、『これ以上出来ない』というところまで頑張れたら、自ずと結果はついてくると信じていました。ここまで準備して、ここまで頑張っても結果が出なかったら“しょうがない”と思える。そうして1年間やってこれたと思います」

 誰よりもバットを振り、相手投手を分析し、自らのコンディションと向き合ってきた。毎日、自分自身が納得できるだけの準備をやり遂げた。その自負があるからこそ、たとえ結果が出なくても「相手もいることなので、ある程度仕方ない部分もある」と冷静に受け止め、明日に備えることができた。最高出塁率のタイトルは、この日々の積み重ねが生んだ“必然の結果”だったのかもしれない。

柳町が考える「プロとして」

 指揮官から“レギュラー”として認められても、心に生まれたのは安堵ではなく、新たな決意だった。「日々進化、日々成長するために自分の持っているものを高めたり、自分のできる範囲を増やしていくのがプロだと思うので。慢心せずにやってこれたと思います」。

 日本一の栄光と、最高出塁率のタイトル。輝かしい勲章を手にしても、柳町の探求心は尽きることがない。その愚直なまでの真摯さこそが、ホークスを日本一に導く本当の強さなのかもしれない。

同期・大関との掛け合い

 今季、目覚ましい活躍を見せた同期の存在も大きかった。「今年は本当に同学年達がすごく活躍していたんで」。特にレギュラーシーズンで13勝を挙げ、最高勝率のタイトルを獲得した大関友久投手とは、シーズン中に3度も一緒にお立ち台に上がるなど、特別な関係性を築いていた。

「大関と何回もヒーローになりましたしね。試合前のお風呂で会ったりしたら、『今日も一緒にヒーロー頑張るか』といった話をしたりしていました。同期みんなが頑張っていたと思います」。何気ない会話が、チームを勝利に導く個人のパフォーマンスを生み出した。「大関が投げる時は『お互い頼むよ』って声を掛け合いながら」。そうやって切磋琢磨できる存在が強さをさらに引き出した。柳町が語った“プロとして”――。1年間を戦い抜いた表情には清々しさと逞しさがあふれていた。

(飯田航平 / Kohei Iida)