松本晴から「俺を見とけばいい」 失った投球感覚…佐々木明都を支える“先輩の言葉”

佐々木明都【写真:森大樹】
佐々木明都【写真:森大樹】

佐々木が感謝する松本晴とのリハビリでの時間

「あの人に出会わなかったら、今の自分はいないって思うくらい救われました」。先輩からの“言葉”を胸に、今年リハビリから実戦復帰を果たしたのは3年目・佐々木明都投手だ。

 2022年育成ドラフト6位でプロ入りした右腕は、2023年10月に右肘関節内側側副靭帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けた。およそ1年半という長いリハビリを乗り越えて、今年5月に実戦復帰を果たした。10月6日から開幕した「みやざきフェニックス・リーグ」では初の2軍で経験を積んでいる右腕。振り返ったのは過酷なリハビリ生活だった――。

「昔の感覚があれば、これが今足りないとか何をやればいいのかが明確になるんですけど、もはや体があまり覚えてなくて。何が正解なのか分からない状態だったので、本当に大変でした」

 自分に合ったトレーニングが分からなくなり、リハビリ段階でも怪我が重なったことで復帰へのプランを何度も崩された。だが、佐々木の大きな転機となったのが、リハビリ組で過ごしていた昨年3月の出来事。「本当にすごい支えられました」と明かしたのは、松本晴投手と過ごした3か月間だった――。

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続きの内容は

・佐々木明都を救った「先輩の言葉」
・松本晴が明かす「驚きの習慣」
・佐々木明都が語る「来季への覚悟」

「ずっと一緒にいましたね。『ちょっとウエートしよ』って誘ってくれたり。練習が終わった時とかも、晴さんが部屋に来たり、僕が晴さんの部屋に行ったりして、一緒に映画を見たり、温泉やサウナに入ったり、食事をしたり……。背中で語ってくれるっていう感じでした」

 同時期に松本晴も右太腿の肉離れで離脱し、約3か月の間リハビリ生活を送っていた。4歳差の2人だが、自然と行動を共にするようになり、その姿から学ぶことは多かった。背中を見て、常に野球へ意識を高く持つ姿に衝撃を受けた。

「風呂から上がった時に10分ぐらい全裸で鏡を見て、投球の1個ずつの動作を思い出してシャドーピッチングをするんですよ。ロジンを触るとか、1つ1つの動作を1個ずつやりながら、10分ぐらい繰り返すのを毎日やっていて。その後に25分間瞑想。起きてから試合が終わるまでの1コマ1コマを想像しながらやるっていう。衝撃的でした」

 影の努力を見て、尊敬はさらに大きくなった。「でも普段はふざけるのが大好きです。めちゃくちゃ無茶振りされるし。でもみんなが見てないところで晴さんは、すごい集中している」。生活、トレーニング、メンタル――。その全てを日々の行動で教えてくれた。

忘れられぬ松本晴の言葉「俺もまだ成功していないけど…」

 共に過ごした3か月の中で、今でも忘れられない言葉があるという。松本晴がリハビリ組を卒業する直前、オフに2人で散歩していた時にかけられた言葉だった。

「『俺もまだ成功していないけど、今俺がやってることを真似しつつ、自分なりに考えてやったら必ず成功する』と。晴さん自身は目標にする人がいなかったらしいんです。だから僕に『お前の場合は、俺を見とけばいい。まだ成功してないけど、絶対成功するから。俺と同じことをすれば、お前にとっては楽やろ』って言ってくれて」

 それまでは人に頼ることが得意ではなかったという佐々木。“道しるべ”になる存在は救いだった。松本晴もまた、そんな後輩の姿を優しく見つめる。「練習も真面目にやるし、いろんなところから情報を得ようとする姿勢は本当にすごいです。今、野球をやれているのが幸せそうだなと感じます」。復帰した後輩について笑顔で語った。

TJ手術から2年…「勝負をかけたい」

 佐々木は現在、フェニックス・リーグで実戦経験を積み、自身の“未来像”を冷静に見つめている。「器用な方なので変化球は自信があります。だからこそ今はストレートを磨いています。球速はすぐ上がるものじゃないので。球速が上がってくれば、得意なチェンジアップがさらにいきてくる。わかっていても打たれないボールが完成するんじゃないかと思います」。日々、牧田和久3軍ファーム投手コーチと二人三脚でトレーニングを行っている。

 2025年10月5日。TJ手術を受けてから丸2年が経った。来シーズンにかける思いは、誰よりも強い。「春季キャンプから勝負をかけたいです。周りが仕上げてくる中、自分は『もう仕上がっている』というくらいの気持ちで。来年にかける思いは、ものすごく強いです」。佐々木明都の本当の戦いはここから始まる。いつか憧れの先輩と同じ1軍の舞台で輝く日を目指して――。

(森大樹 / Daiki Mori)