1人で立ち向かう課題
悲しみをこらえ、胸を張って握手を交わした。リーグ優勝決定後の9月30日、高卒2年目の藤田悠太郎捕手が1軍に初昇格した。その日の日本ハム戦(みずほPayPayドーム)では、1点リードされた9回の守備からマスクをかぶると、臆することなく津森宥紀投手をリード。打者3人をピシャリと抑え、上々のデビューを飾った。
その姿を誰よりも温かい眼差しで見つめていたのが、プロのイロハを叩き込んできた的山哲也4軍バッテリーコーチだった。「あの点差で出させてもらえるとは思わなかった。いい経験をさせてもらっていますし、本当に嬉しいです」。まるで自分のことのように喜びを噛み締めていた。
しかし、わずか1週間後の10月7日、球団は的山コーチに来季の契約を結ばないことを通達。藤田にとって、あまりにも突然すぎる別れだった。最後に交わした言葉に的山コーチが残していった「宿題」、そしてノート――。入団1年目から、厳しくも暖かい指導を受けてきた20歳が、師への思いを明かした。
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続きの内容は
・山本コーチが残した最後の宿題
・藤田選手が明かす師の教え
・「完璧じゃなきゃダメ」の真意
的山コーチが通達を受けた前日の6日、藤田はいつもと変わらず練習に励んでいた。与えられていた課題はスローイング。「オフまでに矯正しようと、その練習をしていました。的山コーチが教えてくれていたんですけど、それが難しくて、うまくいかなったんです」。その翌日、練習場に的山コーチの姿はなかった。「“そういうこと”なのかなって……」。悲しい直感は的中した。
優しかった別れ際の言葉
8日の朝、筑後へ挨拶に訪れた的山コーチから直接、別れを告げられた。「心になんかスペースができたというか……。でも、そういう姿を僕は見せたくなかったんです。会った時はしっかり挨拶しましたし、握手もできました」。
ともに取り組んでいたスローイングの練習。これからは1人で乗り越えていかなければならない。「正直難しいんです。意味は理解できるのに、実際にはできない感じです。『意味はわかったか? 本当に行き詰った時には連絡してきなさい』って言ってもらえたので、今は自分ができることをしっかりやります」。別れ際に交わした会話は、これまでのどの言葉よりも優しかった。
何回も書き直したノート…「完璧じゃなきゃダメ」
2年間で藤田の心に最も深く刻まれているのが「明日は我が身」という言葉だ。ミスをした選手のプレーを自分に置き換えて準備を怠らないこと。プロの世界の厳しさを教えてくれた。その指導を象徴するのが、膨大な数の「ノート」だ。
「1年目にサインミスが多くて。サインミスをするたびに『ノートにサインを書いてこい』と言われました。最初は50点とか70点でした」。投手へのサインや守備のブロックサインを間違えるたびに、ノートにサインを書き出した。しかし、ただ書くだけでは許されない。「完璧じゃなきゃダメ」と、何度も容赦なく突き返された。
「やり直すときは新しいノートに一から書き直すんです。1度間違えた場合は、もう使わないように言われていました。今使っているのはもう4、5冊ですかね」。やり直しで“不合格”となったノートを含めれば、その数は数えきれない。それは、的山コーチがどれだけ真剣に藤田と向き合ってくれたかの証しでもある。
「学んできたことを思い出しながら、ノートを見ながらやろうかなと思います」。師はチームを去ったが、その教えは数えきれないほどのノートと、心に深く刻まれている。「次に会う時には、ちょっとでも良くなって会えるように。いい報告ができるように頑張ります」。的山コーチが課した最後の“宿題”は自力で解いていく。そしていつか、大きくなった姿を必ず見せる。
(飯田航平 / Kohei Iida)