柳田悠岐が球団の決断にこぼした「そっか…」 リハビリ中に繰り返した“チームへの想い″

柳田悠岐【写真:竹村岳】
柳田悠岐【写真:竹村岳】

リハビリ中に柳田が漏らした言葉に見えた“変化”

「今シーズン出られるか、出られないかという時期もありました」。そう静かに語るのは、柳田悠岐外野手の過酷なリハビリをそばで見守った有馬大智リハビリアスレチックトレーナー。昨年の長期離脱に続き、2年連続でリハビリ生活を支えた。

 5日のウエスタン・オリックス戦(タマスタ筑後)。柳田は、右脛骨の骨挫傷から実戦復帰11打席目にして初安打となる右前打を放った。待望の「H」のランプが灯り、塁上で思わず頬を緩めたが、その笑顔の裏には想像を絶する苦悩の日々があった。

 リハビリの過程で一時打撃練習を再開するも、痛みが収まらずに練習を中断したこともあった。そんな先が見えない日々の中でも、柳田の口から漏れた言葉は前向きなものだった。リハビリを支えてきた有馬トレーナーが見た“柳田の姿”とは――。

「『プロ野球選手としてここにいる限り、やっぱりチームのことは思う』『1軍に自分が影響を与えられる状態なら、1日でも早く戻りたい』という話はリハビリ中にずっとしていました」

 野球ができない、もどかしい日々が続いても、ネガティブな言葉は出なかった。むしろ「もう少し野球を頑張ろう」と前向きな気持ちを口にすることもあったという。有馬トレーナーは「野球に対して以前よりポジティブに捉えているのではないか。もっと自分にできることがあるというマインドに変わっているのかもしれないなと思いました」。柳田が前向きにリハビリに取り組む姿を見守っていた。

一時ストップしたリハビリ「本人と話をした」

 振り返っても困難が多いリハビリ生活だった。離脱後の2週間を、柳田本人も「人生で1番痛みを感じた」と語る。有馬トレーナーも「寝たきりに近い状態で、入院するレベルの痛みだったと思います」と明かし、骨への衝撃はそれほどまでに大きかった。

 昨年の長期離脱とは根本的に怪我の質も違った。当初は1、2か月での復帰プランを球団も描いていた。しかし離脱から1か月が経って打撃練習を再開するも、翌日には激しい痛みがぶり返した。チームドクターとも協議を重ね、最終的に「休養」の決断が下された。約1か月半、打撃も走塁も“封印”した。

「選手としては前に進みたいわけじゃないですか。それでも柳田さん本人とも話をして『今は骨の回復に努めた方が結果的に早く復帰できるんじゃないか』と伝えました。決まった時は『そっか……』という感じだったと思いますが、今思えば良い判断だったと思います」

柳田悠岐(右)と有馬大智リハビリアスレチックトレーナー【写真:竹村岳】
柳田悠岐(右)と有馬大智リハビリアスレチックトレーナー【写真:竹村岳】

トレーナーが見た“一流の姿”「爆発的に…」

 その後は浮き沈みもなく、毎日自分の現状と向き合いながら時間を過ごした。ウォーキング、ランニングと1つずつ段階を踏んだ。「自分で流れを読んで『こうしたい』と決めたら、そこから爆発的に進んでいけるんです。やるって決めたらわかりやすく良い方向へ向かう。持っている感覚があるんだと思います」。その姿に“一流の凄み”を見たという。

 同学年の有馬トレーナーと柳田。「『ありがとう』を結構、表現してくださる選手なので」。食事をともにすることもあったという。「家族の話ももちろんしますし。自分の好きなことの話をしている時は、やっぱり気持ち的には前向きになってるかなとは思いました」とリハビリ中の裏話も明かす。

 トレーナーの理論と超一流選手が持つ感覚。それぞれを尊重し、対話を重ねながら乗り越えた4か月半だった。壮絶な痛みと野球ができない苦しみとも向き合い、野球への情熱をより一層確かめる機会になった。柳田悠岐が1軍の舞台で再びあの輝きを放つ日を、誰もが待っている。

(森大樹 / Daiki Mori)2025.09.07