ほぼ毎日の電話「頑張れ、頑張れって…」 宮崎颯獲得の裏側…担当スカウトが信じ抜いた姿

  • 記者:川村虎大
    2025.08.08
  • 1軍
宮崎颯【写真:矢口亨】
宮崎颯【写真:矢口亨】

宮崎の担当スカウトが明かした“秘話”

 苦難を知っているからこそ、喜びは格別だった。7月末に支配下登録された宮崎颯投手は、8月3日の楽天戦(みずほPayPayドーム)でプロ初登板を果たした。7点リードの9回に登板すると、先頭に安打を打たれたものの、後続を二直と併殺に仕留め、結果的に打者3人で試合を締めた。

 決してエリート街道を突っ走ってきたわけではなかった。東都大学連盟2部の東農大から2022年育成ドラフト8位で入団。直後の2023年1月に左肘のトミー・ジョン手術を受けた。リハビリを経て復帰後も、イップスに苦しんだ。

 一時は野球が嫌いになりそうだった。ただ、そんな左腕の復活を誰よりも信じていたのが、担当の松本輝スカウトだった。毎日のように電話口からかけ続けた励ましの言葉、信じた“本来の姿”……。「彼が本当に頑張りましたよ」――。

 松本スカウトが初めて宮崎を見たのは、大学3年の春だった。独特のフォームから力強い直球を投げ込む姿に惚れ込んだ。

「これだけ投げられるピッチャーがいるんだっていう感じで。スピードも146キロとか出ていましたし。すごく良いピッチャーだなっていう印象が強かったです」

大学3年冬の異変…ドラフトでは118番目の指名

 その言葉通り、同年の秋季リーグでは防御率0.43という驚異的な数字を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得。プロからも注目を浴びるようになった。しかし、4年に上がる前の冬に異変が起こった。突然球速が7〜8キロほど落ちた。痛みがなかったため投げ続けていたが、ドラフトシーズンに好成績を残すことはできなかった。

 プロ志望届を出したものの、支配下で名前は呼ばれなかった。それでも、松本スカウトの脳裏にはノビのある直球を投げ込む宮崎の姿が鮮明に残っていた。「絶対に3年生の頃の姿に戻れると信じて、球団の方に推薦しました」。その甲斐もあり、球団は育成8位で指名。同年のドラフト全体で118番目。すでに巨人とホークスの2球団以外は指名を終了していた。

 宮崎は背番号3桁でプロ生活をスタートさせたが、大学4年時に感じた“異変”は単なる気のせいではなかった。蓋を開ければ、靭帯損傷と疲労骨折。入団直後の1月にトミー・ジョン手術を受けた。そこから1年以上の長いリハビリ生活。投球を再開してからも、イップスに苦しんだ。

確信していた“復活”「彼の性格を見ると…」

 リハビリ期間、松本スカウトは何度も宮崎と電話をした。「もう毎日のようにしましたね。もう『頑張れ、頑張れ』って。背中を押すしかないので。だけど、彼が本当に頑張りましたけどね。もう親心じゃないけど。気になって気になって仕方なかったです」。正常に投げられない姿を見ているのは辛かったが、ポテンシャルを知っているからこそ、前向きな言葉をかけた。

 松本スカウトの思いが通じ、宮崎は徐々に感覚を取り戻していった。2024年に実戦復帰を果たすと、今季は開幕から好調をキープ。2軍で20試合に登板して1勝1敗3セーブ、防御率1.11。文句のつけようがない成績を残し続け、7月25日に支配下登録された。

「彼の性格や練習量とかを見ていると、トミー・ジョン手術しても、絶対に球が速くなって帰ってくると思っていました。僕というより、本人が全然諦めていなかったですし、みんながびっくりするぐらい良くなりましたよ。本当に彼が頑張ったなっていうのが一番です」

支配下の連絡…電話越しで「お互い泣きそうになりながら」

 松本スカウトが球団から支配下登録の連絡を受け取った直後、宮崎本人からも電話があった。その瞬間は鮮明に覚えている。「もう本当に、お互い泣きそうになりながらでした」。辛かった日々を知っているからこそ、何度も何度も「頑張ったな」と労いの言葉をかけた。

 3日の初登板は無失点と上々のデビューだった。試合後、宮崎は「輝さんは“お父さん”。ことあるごとに相談させてもらった」と感謝した。ここがゴールではない。信じてくれた松本スカウトにもっと1軍での登板を見せるために――。宮崎颯はまだまだ歩みを止めない。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)