プロ志望も「バカにされた」 手取り20万で生活カツカツ…介護職→支配下掴んだ“涙の約束”
鷹・川口冬弥が支配下へ…忘れぬ高齢者と過ごした日々

かつて“バカにされた夢”を、誰よりも信じて応援してくれた。自身の何倍も年齢を重ねてきた人生の大先輩が流してくれた涙が、何よりもの活力になった。2024年の育成ドラフト6位でソフトバンクに入団した川口冬弥投手が20日、支配下登録されることがわかった。介護職として働きながらプロを志した異色の右腕。「やれることを全部やって、その結果として支配下になれたらいいな」という言葉が、最高の形で実を結んだ。
右腕の原動力は、“おじいちゃんとおばあちゃん”たちの温かい涙だ。徳島インディゴソックスからソフトバンクに入団することが決まり、以前働いていた介護施設「ハナマウイ」へあいさつに訪れた時のことだった。「自分の顔を見た瞬間に泣いてくれた人もいて……」。その光景こそがプロの世界で戦う覚悟を固め、成功を誓った瞬間だった。
奈良県出身の25歳。東海大菅生高では背番号をもらえず、城西国際大でも才能が花開くことはなかった。「エースと呼ばれたことは1回もないですね」。“王道”とはほど遠いルートを歩んできた右腕の転機は、社会人野球のクラブチーム・ハナマウイへの入団だった。
「結果的に拾ってもらった形でした。でも、自分は1年目の時から『ハナマウイからプロに行く』ってずっと言っていました。バカにはされてきたんですけど、本気で行く気でした」
朝7時から夜7時まで仕事…それでも揺るがなかった“夢”
その言葉を現実にするための日々は慌ただしいものだった。日中は介護職に勤しんだ。「朝7時から働いて、家に着くのが夜7時くらいでした。業務時間は12時間くらいありましたね。帰宅してから練習とトレーニングをして、また次の日は仕事に行っていました」。
手取りで20万円弱の給料から家賃や光熱費を払い、残った分はジム代に。プロに行くため、限られたお金を自己投資に回した。「貯金とかそういう余裕もなくプラスマイナスゼロか、もうマイナスぐらい」という生活の中でも、掲げた夢だけは揺るがなかった。
そんな右腕の支えになったのが、施設で接する80歳、90歳の利用者だった。甘いマスクの好青年は誰よりも人気者となり、人生においてかけがえのない時間を過ごした。「野球だけをやっている人ではなかなかない、特殊な経験をさせてもらいました」と感謝は尽きない。濃密な2年間を過ごし、野球と介護職を両立させたことが後の人生を大きく左右することになった。
忘れられない光景「顔を見た瞬間に泣いてくれた」
昨年に徳島インディゴソックスへ入団し、最速155キロにまで成長した。同年のドラフト会議でソフトバンクから育成6位で指名を受けると、身の回りが落ち着いた年末にハナマウイにあいさつへ向かった。そこで見た温かな光景が、今も忘れられない。
「認知症で、僕のことを覚えていない方もいるんですけど。ドラフトを見て、泣いて喜んでくれた方もいたと施設の人から話を聞きました。指名後にハナマウイに行くと、自分の顔を見た瞬間に泣いてくれた人もいて……。ハナマウイがあったから、僕はプロに行けたんだと思っています」
バカにされても諦めなかったプロ野球選手という夢を、本当の意味で掴んだ。10月には26歳を迎えるオールドルーキーは、「高校も大学もずっと補欠だったんで、今は野球をやれているだけで一番楽しいんです」と、ひたむきに腕を振り続けた。その結果が、支配下登録を現実のものにした。優しい右腕も、マウンド上では強気。流してもらった涙を胸に、1軍の舞台で躍動する。
(飯田航平 / Kohei Iida)